投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 6月29日(水)02時31分53秒
舎利弗と修利槃特の共通点と成仏の門
しゃりほつと、すりばんどくの、きょうつうてんと、じょうぶつのもん
とうこうしゃ:だいぶつのグリグリのとこ :2016ねん 6がつ27にち。

にちれんぶっぽうをしんこうし、にちれんきょうがくを、しんけんにまなんでいこうと、こころざすひとには、
だいなりしょうなり、そこにいたる、どうていと、どうきが、あるものです。

あるひ、もっともそんけいするせんぱいから、じしんのたいけんを、とおして、そのどうていと、どうきをおしえていただいたことがありました。

せんぱいはいいます。
「わがやはおやのだいからがっかいいんで、じぶんもじんせいのくなんになんどもあったが、
すべてしんじんをふるいおこしてちょうせんし、のりこえてきた。そんなやさきにたいぼうのこどもがしょうがいしゃとしてうまれた。

このにちいらい、にちれんぶっぽうをしんけんにまなび、じんせいをかけてこどものこうふくじょうぶつをしさくしてきた。
そしてこたえがみつかった。いまならはっきりわかる。けっきょく、きょうがくはじんせいのくなんのなかでしかふかまらない」と。

せんぱいのたいけんをきいたときに、ほんとうにこのせんぱいはきょうがくをまなびおえ、それをじっせんにうつしているいだいなひとだなとかんどうしたものです。

というのは、グリグリのみうちにもじゅうどのしょうがいしゃがいたからです。
ひとくちにしょうがいしゃといっても、いろんなひとがいます。

めがみえないもうもくのひと、みみがきこえず、はっきりことばとしてはなせないひと、
せのひくいひとからあしのふじゆうなひと、そしてせぼねがきゅうじょうにもりあがりわんきょくしたひととう・・・。

しょうさいはかけませんが、みうちのしょうがいしゃはめとみみとのうはせいじょうなのですが、あとはすべてダメなのです。
しんたいをじぶんでじゆうにうごかすことができず、つねにオシメをちゃくようし、しょくじもひとりでしょくすことがふかのうなので、
しんたいをよこにしてだれかがスプンでくちにはこぶしかたべるほうほうがない。

そしてとうぜん、しゃべることができないのでもじばんをゆびでおさえてじぶんのいしをつたえます。
けんじょうしゃならば、じゅうびょうでひとにつたえられることもみうちのしょうがいしゃはごふんじゅっぶんかかります。

てをじゆうにうごかせないながらもひっしでもじばんをおさえていしをつたえるほうも、
それをかくにんしながらひっしでりかいしようとするほうもともにこんきのいるさぎょうです。

グリグリがきょうがくをきわめようとけついしたきっかけのひとつは、そんなしょうがいしゃがみうちにいたからかもしれません。

そのみうちもがっかいいんで、おやはじゅうどしょうがいじのこをちいさいころからきびしくそだてていました。
せいかくになむみょうほうれんげきょうとはつおんできないこどもをごほんぞんのまえにすわらせ

「いいかい、こどもよ、おまえはくちとしんたいはダメだが、めとみみはせいじょうだ。
だからくちでだいもくをとなえなくてもいいから、しっかりそのめでごほんぞんをみて、こころでだいもくをとなえなさい。
そして、もしもきょうがくのはなしをしてくれるひとがあらわれたら、しっかりそのみみでききなさい」・・・こういいきかせていました。

そんなこどももせいじんし、いまではでんきしきくるまイスでしょうがいしゃがあつまるさぎょうしょにかよいしごとをしています。
おやはなくなるまえのまくらもとでグリグリにこういいました。

「こどもにぶっぽうのいだいさをはなしてやってくれ、たのむ・・・・」と。

まもなくおやはりょうぜんにたびだちました。せんぱいのたいけんをきいて、そんなことをおもいだしたのです。