投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月27日(水)15時53分13秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-11-18 【創立記念日最高協議会】

■ 一、晴れ晴れと、大勝利に輝く、学会創立76周年、本当におめでとう!(大拍手)
日本全国、そして、全世界190力国・地域の誇り高き全同志とともどもに、「創価学会の万歳」を、「創価学会員の万歳」を、そして「創価の師弟の万歳」を、天高く叫びゆく思いで、私は「創立の日」を迎えた。
多くの識者や友人の方々も、深き真心で、この日を祝賀してくださっている。あらためて、心より御礼申し上げたい(大拍手)。
今朝(18日)、晴れわたる青空を見つめながら、句を詠んだ。
全同志に、感謝を込めて贈らせていただきたい。

晴天に   我らも同じく   創立日

天晴れて  万歳ゆれゆく  三色旗

■ 師に甘え、師に護られ、師に励まされてばかりいる弟子であっては、悪世末法での広宣流布はなし得ない。
師に仕え、師を護り、師を宣揚していく真実の弟子として立ち上がっていくのだ。
創価の師弟の真髄も、ここにある。

●「志が固い」「一心に精進」
一、さて、「地涌の菩薩」について、釈尊は、高らかに言い放った。
「私は久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」
そして、釈尊は、この本門の弟子たる「地涌の菩薩」の登場によって、自らの久遠の生命を明かし、その本地を満天下に示していくのである。
法華経では、「地涌の菩薩」のことが、次のように説かれている。
「志が固い」
「偉大な忍耐の力がある」
「人々が見たいと願う存在である」
「常に法を願い、一心に精進して、無上の仏の智慧を求める」
「菩薩の道を学び、蓮華が泥水に染まらずに咲き薫るように、濁世(じょくせ)にあって世俗に染まらない」
「種々の法を説いて、畏(おそ)れる心がない」
「難問答に巧みである」
「姿が端正で、威徳がある」
「十方の仏から讃えられる」
── これが、地涌の菩薩の姿である。

●大生命力をわき出(いだ)せ!
一、さらに戸田先生は、厳然と言い切られた。
「学会員は皆、偉大な使命をもって生まれた。怠惰や臆病な人間などはいてはならない。広宣流布のために戦う地涌の菩薩であるからだ」
「何があろうと、私は必ず勝つ。何よりも大事なことは、大聖人御遺命の広宣流布だ。一日も遅らせてはならない。創価学会こそ、その御遺命を達成する唯一の団体なのだから。
われわれの使命は実に素晴らしいではないか。法のため、広宣流布のために戦う地涌の菩薩なのだ」
創価学会の「創立の心」 ── それは、この「地涌の菩薩」の誉れ高き使命と力を自覚することなのである。
自分を卑下(ひげ)したり、人を羨(うらや)んだりする必要など、まったくない。
わが生命の奥底には、尊貴なる地涌の生命が脈動しているのである。深き誓願の祈りと、勇敢な行動で、その清らかで力強い生命力を「涌出」させていくことだ。
「この世で果たさん使命あり」(「人間革命の歌」の一節)である。
皆さまは、一人残らず、尊い使命を持って、この地球に生を享(う)けた。
新しい創価学会の大建設は、この「地涌」の大生命の躍動から始まると申し上げたい。
大聖人は「男女はきらふべからず」(同1360ページ)と仰せである。私どもは、今まで以上に、婦人部・女子部を尊敬し、大事にしてまいりたい。
戸田先生は、よく言われていた。
「婦人部こそ、学会の原動力である」
「女性こそ、広宣流布の前駆(ぜんく)たれ!」

■ 同じ一生であるならば、広宣流布のために命を捧げよ! ── 大聖人の烈々たる叫びである。
「師の心」 ── それは「広宣流布への大願」である。この「師の心」に「わが心」を一致させていくことこそ、仏になる道なのである。
「師の魂」 ── それは「不惜身命(ふしゃくしんみょう)の行動」である。この「師の魂」と同じ魂で行動していくことこそ、広宣流布を成就する道なのである。
●五十年先のために
一、大聖人の最晩年、まだ20代だった時光が重い病に倒れた。
大聖人は、御自身の御病体をおして、時光の病気の平癒(へいゆ)を願い、激励の御手紙を認(したた)められた。
若き門下を苦しめる病魔を打ち破り、時光を蘇生させていかれたのである。
時光は、御本仏の大慈大悲に包まれて、その後、50年も寿命を延ばすことができた。
大聖人の御入滅後、五老僧らが、ことごとく違背していくなかにあって、日興上人を厳然とお護りし抜いて、令法久住(りょうぼうくじゅう)の大道を開いたのが、この南条時光であった。
一人の青年を励まし、育てていく。青年の育成に手を打つことは、50年先までの手を打つことに通じる。
未来部を育てることが、学会の未来を育てることである。
青年部を伸ばすことが、広宣流布の前進・勝利を伸ばすことである。
座談会運動をはじめ、ありとあらゆる機会を通して、一人一人の若き宝の人材を薫陶(くんとう)してまいりたい。
また、この席をお借りして、21世紀使命会、未来部育成部長、学生部の進学推進部をはじめ、育成に当たってくださっている皆さま方に、心から感謝申し上げたい(大拍手)。

■ 人間の心は恐ろしい。
嫉妬とは何か。
邪悪の本性であり、誹謗(ひぼう)の元凶である。
裏切りの原因であり、分裂の理由である。
釈尊に反逆した提婆達多の本性も「男のやきもち」だったと、戸田先生は喝破されていた。ゆえに“嫉妬の反逆者とは、断じて戦い抜け! ”と叫ばれた。
奥底の一念ですべてが決まる一、戦時中、軍部権力によって学会は弾圧を受け、多くの最高幹部が投獄された。
牧口先生は、最後まで信念を貫かれて獄死。戸田先生は2年間の獄中闘争を戦い抜かれた。
だが、牧口先生、戸田先生以外は、次々と退転してしまった。
そのうちの一人に、ある大学の教授がいた。奥さんに“早く出てきてほしい”と懇願されて、退転した。
戸田先生は「こいつは師匠を裏切った! 学会を裏切った!」と言われ、絶対に許そうとはしなかった。それはそれは、すさまじい怒りだった。
時には「そこまでしなくても」というほどまで、徹底してその裏切りを責め抜かれた。これが本当の慈悲なのだ ── 先生は、そう語っておられた。
また戦後も、最高幹部でありながら信心を忘れ、ついには反逆した人間が出た。
“こんな輩(やから)を放っておいたら、学会は大変なことになる!” ── 戸田先生は、そう叫ばれて、断固として糾弾された。
その後、第1次宗門事件の時にも、嫉妬に狂い、大恩ある同志を裏切って学会に弓を引く人間が現れた。
卑劣なデマを垂れ流し、尊き学会の師弟の絆を分断しようと画策した悪人がいた。その罪は重大である。
残念ながら、こうした悪を見て見ぬふりをして、傍観を決め込む幹部もいた。
大切なのは“奥底の一念”である。心の奥の奥で何を考えているかだ。
本当に師匠のため、学会のために戦おうと決めているのか。
表面だけ繕(つくろ)って、結局は自分のことだけを考えているのか。
その差は、あまりにも大きい。

●悪人を許すな!
一、嫉妬がはびこる組織・社会は、濁り乱れる。絶対に発展しない。
中国の古典『楚辞(そじ)』に「世は乱れ濁って、善悪の筋目も分かれず、人々は好んで他人の善美を蔽(おお)いかくしてねたみにくむのである(世は溷濁(こんだく)して分かれず、好んで美を蔽ひて嫉妬〔しっと〕す)」とあった。人の讒言(ざんげん)で楚の国存遠ざけられた屈原(くつげん)の憂いである(『楚辞』星川清孝訳、明徳出版社)。
わが学会には、陰湿さや嫉妬、裏取引や陰口など絶対にあってはならない。
学会は、明るく、清々しい、晴れ晴れとした異体同心の世界である。
御書には「松が栄えれば柏(かしわ)は悦ぶ。芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。非情の草木すら友の喜び、友の嘆きは一体である」(934ページ、通解)と仰せである。
いわんや、広宣流布という無上の大目的へ進みゆく創価の同志の絆は、何ものにもまして強い。
美しい友情と同志愛の世界が、学会の世界なのである。
怨嫉(おんしつ)は、自らの福運を消し、和合僧を撹乱(かくらん)してしまう。厳重に戒めていくことだ。
この学会精神を、永遠に忘れてはならない。
ともあれ、学会の永遠の発展のために、悪人は絶対に許してはならない。叩き出していかねばならない。きょうは、このことを改めて確認しておきたい(大拍手)。

■ 学会の同志は、仏法の視座(しざ)から見れば、生死を共にする仲である。
私にとっては、家族以上の存在である。最高幹部もまた、そのつもりで全力を尽くしていただきたい。
私は、世界中に信頼の広がり、友情の広がりをつくってきた。
学会員の皆さんが元気であればいい。喜んでくれればいい。幸福であれば、それでいい ── すべて、この一心からの行動である。
また、そのために、私は正邪を公正に言い切ってきた。まじめで公正な人々が苦しむようなことをさせない。それが私の責任であり、広布の指導者の責任であるからだ。
この責任を忘れた幹部は「我見」に陥る。「異体同心」の心でつながっている同志の絆を、おかしくしてしまう。
学会のリーダーは、決して気取らず、「誠実」の二字で戦ってほしい。その誠実の行動に、仏の生命の発露である「慈悲」も輝くのである。
寒くなってきたので、風邪などひかないように気をつけてください。
各地の同志の皆さまに、どうかくれぐれもよろしくお伝えください! (大拍手)