投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月27日(水)12時43分9秒   通報
たとえば、今までさんざん学会の悪口を言い、同志の悪口を言って、
好き勝手にしていた学会員やその子供が病気になると、

その人は組織の同志に向かって

「地区・支部で唱題会を設けて病気が治るように題目を送ってほしい、私も題目に挑戦します」と言う――。

それは別に悪いことではないし「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇頁)なのですから、
病気になったことによって今までの信心の態度を改め、新たに決意することは良いことです。

なにもわざわざ組織をあげて唱題会を開催しなくても、
それを聞いた同志は何も言わず一生懸命に題目を送ってくれます。

それが草創期から築きあげてきた学会の伝統であり同志愛です。

しかし、業病が出た場合は少し違います。

確かにご本尊に祈れば「罪として滅せざるはなし」なのですが、
なんでもかんでもご本尊に題目をあげれば、

過去世の罪が〝すぐに帳消し〟になるわけではありません。

盗んだ物や、危害を加えた人や物をそのままにしておいて、
ただ題目をあげて罪が消えるわけがありません。

盗んだものは元にもどし、危害を加えたら謝罪し、罪を償うのが道理です。

そうであるならば「病気を治してくれ」という祈りの前に、

まずは懺悔滅罪(ざんげめつざい)の祈りが先です。

過去の悪業や非礼をご本尊におわびし、心新たに自行化他の題目(本門の題目)を実践することです。

自行の題目も、化他行の題目も実践しないで病気になったから「治してくれ」と
同志やご本尊にすがるのは、ただの乞食信心であり、単なるゴロツキです。

そうではなく病気を機縁として、

仏法の偉大さを教えてくれた師匠と同志に報恩と感謝を捧げ、
日々の弘教拡大の実践をしていくことによって、

重罪が転じて軽く受けることができるのです。

これが転重軽受の原理であり、そうして初めて宿命転換ができるのです。