投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月14日(木)07時39分48秒   通報
全集未収録の池田先生のスピーチ(聖教新聞2006.5~2010.4)を掲示します。
全文はあまりに長すぎますので勝手に抜粋します。

2006・4・20【第59回本部幹部会・中部・北陸総会】
■ 指導者は、「油断、慢心、増上慢、威張り」――これらを、自他ともに、厳しく戒めていかねばならない。そして、これからの青年を誠実に面倒を見て、育てていけ。
これが、戸田先生の遺言であった。私は、その先生のお言葉通り、寸分も違わず実践しぬいてきた。
ともかく、絶えず自分自身を革命していく以外にない。すべては、人間革命が根本である。自身の人間革命を忘れたとき、堕落が始まる。
これまでも、皆の力で偉くさせてもらいながら、その大恩を忘れ、自らの醜い欲望の虜となり、同志を裏切っていった人間がいた。そのような人間は、清らかな信心の世界から追放していくしかない。
そういう存在を許し、まじめな同志が苦しむようなことがあってはならない。それでは、純真な学会員がかわいそうである。仏の敵とは徹底して戦い、追放せよ! これが、御書に仰せの精神である。
本当に正しい、正義の学会を、異体同心の学会を、つくり続けていこう!(大拍手)

●富山からの便り
私のもとには、全国、全世界から、さまざまな報告が入ってくる。このほど、富山県の婦人部の方から、うれしい知らせをいただいた。富山では、大きく折伏が進み、岐阜との県境にある奥深い山間の地でも、支部副婦人部長が、一人のご婦人に仏法対話をされたという。
対話の中で、そのご婦人は、「じつは……」と、ある思い出を語ってくださったそうである。報告には、大要、こう記されていた。
――そのご婦人は、もう何十年も前、幼子を連れて、名古屋のほうへ向かう列車に乗り込みました。列車の中は、大変な暑さだったので、子どもは耐えきれず、ぐずり始めたそうです。
するとそのとき、そばに座っていた若い男性が、子どもを優しく扇子であおいでくれ、そのうえ、弁当まで買って、笑顔でごちそうしてくれました。ご婦人は、「なんと親切な方だろう。世の中には、こんないい人がいるのか!」と胸がいっぱいになりました。
その男性との別れ際、お礼を申し上げると、一枚の名刺をくれました。そこには「池田大作」と記されていたというのです。この方は、今も鮮烈に、この感動的な思い出を胸に刻んでいます――。そのご婦人がこのたび入会されたのである(大拍手)。
ひとたび結んだ仏縁は、必ず花開く。御書にも「成仏の種(仏種)は、縁によって生じます」(御書1467ページ、 通解)と明快に仰せの通りである。

●「戦う心」が大切
現在、私は、中国思想研究の第一人者であるハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授と対談を行っている。〈月刊誌「第三文明」で連載中〉
ここでは「世界の四聖」と謳われる釈尊、孔子、ソクラテス、イエスという「人類の教師」たちの足跡も話題となった。
ご存じの通り、この4人とも、同時代の人々からは激しい中傷や迫害を受けた。苦難の連続であった。
簡単に人々からほめたたえられて、偉くなる。そんなのは嘘だ。本物ではない。
釈尊は九横の大難(=九つの大難)を受けた。悪人に妬まれ、命を狙われた。孔子は14年もの間、亡命生活を余儀なくされた。ソクラテスとイエスは罪人として処刑された。
にもかかわらず、なぜ後世の人々から仰がれる存在になったのか。それは、弟子たちが戦って戦いぬいて、わが師匠を宣揚し続けていったからである。
牧口先生の弟子である戸田先生も、戦って戦いぬいて、師を宣揚した。戸田先生の弟子である私も、そうだ。これが本物の弟子である。
役職や立場ではない。大切なのは「戦う心」である。「行動」である。その人が最高に尊いのである。皆さんも、本物の弟子であってもらいたい。師弟の道に生きぬいた名誉は、永遠に輝いていく。これが仏法である。妙法なのである。

●師の分身として
崇高なる正義の師匠は必ず迫害されるものだ。牧口先生も迫害された。戸田先生も迫害された。私も、そうだった。そして、こうした苦難が、弟子たちを「本物」と「偽物」とに峻別するのである。
これまで、学会の最高幹部の中から退転者が出たこともあった。また、古くは大聖人の高弟であった六老僧のうち、日興上人を除く5人が、ことごとく師の教えに背いた。
惰弱な弟子は、やがて消え去り、真の弟子のみが、師匠の「一体不二の分身」として鍛え上げられる。そして、残った直弟子が、命を賭して師の仇を討つのだ。
歴史に照らして、この「師弟の闘争」こそ、大哲学、大思想を永遠ならしめていく重要な方程式なのである。
第3代会長の私は、厳然と創価学会をつくりあげてきた。牧口先生、そして戸田先生のお二人を、人類史に輝きわたる大偉人として宣揚できたことは、私の最大の勝利である。私は勝った(大拍手)。
中国思想研究の第一人者であるハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授が深く共鳴しておられた御文がある。それは、「味方よりも強敵こそが、人をよく成長させる」<御書917ページ、 通解> との御聖訓である。
私は、この御文を、真実の池田門下生である若き諸君に贈りたい。頼むよ!(会場から「ハイ!」と大きな返事あり)

●尊き無冠の友の無事安穏を祈る
大事なのは、会員である。幹部ではない。会員を見ていくのである。
会員の皆さんが健康であり、幸福であり、湧きあがるような信心の喜びを感じているかどうか。それが一番大事なことである。
私と妻は、日本中、世界中の会員同志の皆さまのことを、御本尊に真剣に祈らせていただいている。
なかんずく、最も地道に、最も堅実に、広宣流布の道を歩みゆく「無冠の友」の皆さまの健康と無事安穏を、いつもいつも、ひたぶるにご祈念している。
毎朝、聖教新聞を手にするたびに、心で合掌し、皆さまの尊き献身と労苦に深く感謝申し上げている。
無冠の友の皆さん、本当にありがとう!(大拍手)
また、きょうは、聖教新聞の創刊55周年、本当におめでとう。
私はうれしい!(大拍手)
仏法とは、慈悲の法である。御本尊に祈り、広布に励めば励むほど、人を思いやり、他者の痛みに同苦できるようになるのが本当の姿である。
また、大切な同志への感謝と励ましを忘れない人は、自らも、はつらつと、向上と充実の人生を飾っていけるのである。

●青年しかない!
いわんや、仏法において、恩知らずの破和合僧は、重大な罪である。絶対に許してはならない。これまでも卑劣な反逆の人間がいた。
権威、権力の脅しにおびえ、すぐに臆病になる。保身を考え、簡単に時流に流される。そんな幹部など断じて信用できない。
新たに青年を鍛えるしかない。青年を育てるしかない。
青年、青年、青年……私の心は、その一点から離れることはなかった。
純粋な信心を持ち、邪悪とは勇気をもって戦う正義の青年を一人でも多く育てたい ── その思いで、新しい時代を切り開いてきたのである。
また、ロランは喝破する。
「大事なことは国民の政治教育をして、代議士にたいして絶えず監督を実行する手段を国民にあたえることである」(宮本正清訳、同)
これこそ、民主主義の土台となる。
戸田先生は「青年は心して政治を監視せよ」と言われた。
民衆が、庶民が、聡明に勇敢に声をあげることである。
権力には魔性がある。それを野放しにして、民衆が苦しめば、恩師の教えに背くことになってしまうからだ。

●三世永遠の同志
皆、長生きして、一緒に人生を生き抜こう!
来世も、その次の世も、永劫に一緒に、最高の人生を生きるのが、妙法の世界である。
皆さま方のご健康とご長寿、そして幸福、勝利を心から祈り、私の話とさせていただく。
最後に、「わが同志の幸福、万歳!」と、ともに叫びたい。