投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月24日(日)07時48分26秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-8-24 【信越最高合同会議】

●恩師との出会い
 一、私が戸田先生と初めてお会いしたのは、戦後間もない、1947年8月のことである。
 当時、私は19歳であった。
 私は青年らしく、先生に、率直に質問をした。
 「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
 先生は、「これは難間中の難問だな」と言いながら、誠実に、明快に答えてくださった。
 そして最後に、こう言われたのである。
 「正しい人生とは何かと考えるのも良い。しかし、考える間に日蓮大聖人の哲学を実践してごらんなさい。
 青年じゃないか。必ずいつか、自然に自分が正しい人生を歩んでいることを発見するでしょう。
 私は、これだけは間違いないと言える」
 先生の言葉は、大確信に満ちあふれていた。
 私は戸田先生を信じ、8月24日に入信した。そして、戸田先生が言われた通りに、真実の「正しい人生」を、歩んでくることができた。
 恩師・戸田先生への感謝は尽きない。

●報恩感謝の心で
 一、御聖訓には、「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生(こんじょう)人界の思出なるべき」(御書467ページ)と説かれている。
 どんなに華やかな出来事も、やがて時とともに色褪(あ)せ、いずれは忘れ去られてしまう。
 しかし、地味であったとしても、広宣流布のために動いたこと、語ったこと、苦労したこと、戦い切ったことは、時が経てば経つほど、深い光を放っていくものだ。
 二人に共通するのは、一生涯、生き生きと「行学の二道」に励み抜いたことである。
 さらに、報恩感謝の心で、一生涯、「師弟の道」を歩み抜かれたことである。
 そして一生涯、「学会厳護」のために、破邪顕正の勇気で戦い切ったことである。
 田中さん【「文京革命」を成し遂げた、文京支部の支部長であった田中都伎子(つぎこ)さん(2001年8月24日逝去)】のご家族も、お母さんの思い出といえば、学会活動をしている「後ろ姿」だという。
 田中さんは、家族に対しても、師弟の精神について、さまざま語っておられたとうかがった。
 〈田中さんは、こう述べていたという。
 「過去のことばかり話す人がいる。しかし、それは成長していないということです。
 もちろん歴史の事実や精神を語り残していくことは大事です。
 しかし、本当に大事なのは、過去ではない。今の池田先生の呼吸 ── 池田先生が、今、何を指導されているか。池田先生の今の呼吸は何か。
 ここに、自分の一念を合わせて戦っていくことが根本です。だから、成長し続けなければならないし、成長し続けられるのです」
 「池田先生は『文京支部の人は、いい人ばかりだ』と言ってくださる。
 しかし、それは違う。池田先生が、一人一人の良いところを引き出してくださった。使命を果たさせてくださったのです」
 「先生が指揮を執(と)ってくださった。先生に全部教えていただいて、夢中でついていって、ただただうれしくて、知らないうちに結果が出ていたのです」
 「幹部が、池田先生のおっしゃる通りに、ただただ真面目に、先生についていけば、組織は必ず勝ち、発展する。
 『師匠のおっしゃる通り』 ── これに尽きる。人に紛動(ふんどう)される人は、心に先生がない。先生がないと魔につけいられる」
 「いつも、ひどい目にあわされているのは、池田先生お一人である。
 言論問題の時も、宗門問題の時も、いつも矢面(やおもて)に立ち、一切を、お一人で受け切ってくださっている。
 そして、それを敢然と打ち破って、今日の世界広布の基盤をつくってくださった大恩は、到底、口では言い表すことはできない」、
 「一生涯、どんな立場にあろうとも、報恩感謝の実践あるのみです」>

●カント「高慢は阿呆である」
 一、ここで、世界の英知の言葉を幾つか紹介したい。
 18世紀イギリスの歴史家ギボンは書いている。
 「人間のあらゆる感情欲望のうち権力欲は最も傲岸(ごうがん)な非社会的性質に属する。けだし一人の人間の傲慢が多衆の服従を要求するからである」(村山勇三訳『ローマ帝国衰亡史(1)』岩波書店)
 権力の魔性ほど恐ろしいものはない。戸田先生は、このことを繰り返し訴えておられた。
 古来、「帝王学の教科書」とされてきた中国の『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、こう記されている。
 「そもそも〔天下を取ろうとして〕深く憂い悩んでいるときには、必ず誠意を尽くして下の者を厚く待遇するが、志を達してしまえば欲情をほしいままにして人に対して傲慢になります」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』明治書院)
 鋭い指摘である。
 牧口先生が獄中で読まれ、戸田先生も学ばれたドイツの哲学者・カントは「高慢は阿呆である」(清水清訳『人間学・教育学』玉川大学出版部)と述べている。
 人々の恩を忘れ、自分の力で偉くなったと思い上がる! 傲慢ほど、愚かなことはない。
 戸田先生は、傲慢な人間には容赦なかった。
 庶民の尊い真心に支えられて偉くなりながら、その大恩を忘れ、仇で返すような悪党は絶対に許すなと叫ばれた。
 学会は王者の世界である。卑しき人間とは断じて戦え! 追撃の手をゆるめるな! ── これが師の遺言であった。

●仏の生命を開け
 一、各地で新しいリーダーが誕生している。
 何度も申し上げるが、指導者は、まず誠実であることだ。
 誠実にかなうものはない。誠実さがないところに、愛情もない。論理も包容力も、ユーモアもなくなる。笑顔も、知恵もなくなる。
 誠実さを欠いて、偉ぶり、焦り、感情的な策を弄(ろう)するリーダーは嫌われる。
 広宣流布の前進において、気取る必要は一切ない。ざっくばらんでいい。ありのままでいい。 そうでないと、周りが安心できない。
 同志が安心できるような、大人物になっていただきたい。
 大人物とは、大きな心をもち、多くの人を、確かな幸福へと導ける人である。
 そのためには、尊き仏子(ぶっし)である学会員の皆さまに仕えることだ。また、御本尊に仕えることである。
 私は、そうしてきた。
 さまざまな人がいるから、当然、忍耐が必要な場合もある。
 しかし、自分自身を変革して、周囲から信頼を勝ち取ることは、諸天善神からの讃嘆に通じるのである。
 仏とは、どこか他の場所にいるのではない。ここにいる。
 この自身の生命に具わる仏の生命を、開いていくのだ。
 いかなる動きも、すべて「仏界所具(ぶっかいしょぐ)」の働きにしていける。また、菩薩の働きに変えていけるのである。
 また、創価のリーダーは、徹して女性に感謝し、ほめたたえていくことだ。
 男女同権であり、平等だ。健気(けなげ)に戦う婦人部、女子部の皆さんを馬鹿にする人間を、絶対に許してはならない。
 女性を尊重すれば、学会はさらに発展する。

●信仰の出発点に立ち返れ
 一、また、“役職が上になればなるほど、偉い。成仏に近い”などという考え方は、日蓮大聖人の仏法にはない。広布の役職は、誉れある「責任職」である。
 いわんや、社会的な肩書や立場、学歴など、信心の世界には関係ない。
 だれ人も尊厳であり、だれ人にも成仏の可能性が平等に開かれているのが、大聖人の仏法である。
 幹部だからといって、「自分は特別である」とか、「自分は十分に戦ってきた」などといった安直な考えに陥ってしまうならば、魔に付け入られてしまう。
 その意味で、これまで戦ってきた人、また責任ある役職についている人ほど、常に信心の原点、信仰の出発点に立ち返ることだ。
 そして、はつらつたる「発心の生命」「初心の生命」を生き生きと燃え上がらせることだ。
 微妙な、しかし重大な「一念」の違いによって、後退してしまうか、成仏の総仕上げを飾ることができるかが決まる。
 ここに、大聖人の仏法の要諦(ようてい)があると拝することができる。
 信心も、人生も、途中ではない。最後で決まる。その勝利を飾るために、師弟がある。
 私も常に、戸田先生の弟子として、広宣流布の戦いを開始した出発点に立ち返っている。
 そして、どんな時でも、戸田先生と二人で、心と心、生命と生命の対話を交わしながら、行動している。ゆえに、絶対に行き詰まることはない。

●勝利とは地道な努力の連続
 一、アフリカ・ガーナの初代大統領エンクルマは独立を勝ち取って、こう叫んだ。
 「われわれの闘いがまだ終っていないことを、われわれは忘れてはなりません。われわれはたんに新しい局面に移動しただけなのであります」(野間寛二郎訳『自由のための自由』理論社)
 あらゆる戦いを決する力は、執念である。
 “ひとまず戦いは終わった”というところから、実は、次の戦いが始まっている。
 イギリスの歴史学者トインビー博士は、こう記している。
 「創造的な人間が、ある事業を成就したのちにおちいりがちな受動的な錯誤(さくご)は、昔大いに努力したから、『その後はずっとしあわせに暮す』資格があると夢想して、愚者の楽園で『漕ぐ手を休める』ことである」(桑原武夫・樋口謹一・橋本峰雄・多田道太郎訳『図説 歴史の研究 I』学習研究社)
 人間の心理を突いた一文である。
 大聖人は、御書に何度も仰せである。
 「然(しかれ)どもいまだこりず候」(御書1056ページ)
 「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)
 「今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし」(同502ページ)
 「いよいよ・はりあげてせむべし」(同1090ページ)
 攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く。
 大聖人は、そのことをだれよりもご存じであられた。
 先に紹介したロマン・ロランは、「水滴の執拗(しつよう)さがついには岩をも侵食するのです」と、友に書き送っている(山口三夫訳「シュテファン・ツヴァイクとの往復書簡」、『ロマン・ロラン全集38』所収、みすず書房)。
 勝利するといっても、地道な、たゆみない努力の連続である。
 「いよいよ」の心で、下半期も進んでまいりたい!(大拍手)

●全員が大聖人直結の精神で
 一、仏法は勝負だ。大聖人は、厳然と仰せになられた。
 「念仏者たちにたぶらかされ、日蓮をうらみに思われたので、(ある有力な権力者は)その本人も、また一門も、皆、滅びてしまわれた」
 「両火房(りょうかぼう=良観)を信じ用いられている人が、栄えているとお思いになりますか」(御書1093ページ、通解)
 仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の創価学会に敵対した輩も、すべて、この御聖訓に違(たが)わぬ末路をたどっていることは、皆さま方が目(ま)の当たりにされてきたとおりだ。
 戸田先生は、大聖人の時代の厳しい現証についておっしゃっていた。
 「大聖人御在世において、大進房(だいしんぼう)はじめ幾人かの愚かな大謗法の者が出た。しかし最後は、はかなく人生を終えている。
 二祖日興上人の時も、五老僧等の名聞名利を求める輩がいたが、正法正義(しょうほうしょうぎ)の嫡流の団結によって、彼らは衰微している」
 弟子の団結で師の正義を証明する。これが、大聖人門下の誉れである。
 また、戸田先生は語られた。
 「『異体同心なれば万事を成ず』だよ。
 『異体』は、各自の境遇であり、自己の個性を最大に生かす生活だ。
 『同心』は、信心であり、広宣流布という目的への自覚だ。
 私をはじめ全員が、大聖人の御聖訓のままに進む。これが学会精神である」
 この精神で、学会は永遠に進もう!(大拍手)

●大いなる祈りが大いなる行動に
 一、8月24日は、戸田先生と二人で、将来の新聞の構想を語り合った日でもある。
 それは、昭和25年(1950年)の8月24日。
 当時は、戸田先生の事業が最悪の苦境に立たされていた。
 戸田先生は、ともに新聞記者の取材を受けた後、言われた。
 「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、考えておいてくれ!」
 聖教新聞の原点も「師弟」である。
 先生は、口ぐせのように言われていた。
 私は聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい。それ自体が、仏縁を結ぶことになる。折伏に通じる」と。
 さらに力強い広布の機関紙として、果たすべき使命は大きい。

 一、さらに戸田先生の指導を拝したい。
 先生は常々、「目にははっきりと見えないかもしれないが、功徳は必ずや生命から生命へと伝えられていくのだ」
 「亡くなった人には、題目を唱えて祈念する以外に何も通じないのだ」とおっしゃっていた。
 私たちの信心の功徳は、先祖代々、子孫末代にまで必ず及んでいく。そして、福徳薫る、一家和楽の実証を築くことができる。
 また、「願いのみして行をせぬ、といったような横着な信心では、けっして願いはかなわぬ」とも言われていた。
 信心の行動を起こしてこそ、祈りは叶う。大いなる祈りが、大いなる行動につながる。そして、大いなる結果を生むのである。

■ 戸田先生は、ある時に笑顔でおっしゃった。
 「戦いは、いよいよ、これからだよ。楽しく、また断固として一緒に、戦おうじゃないか!」
 この恩師の師子吼を、ともどもに胸に響かせながら、前進し、そして勝利してまいりたい。
 研修期間中、信越の同志の皆さんには、大変にお世話になりました。心から御礼申し上げます。
 結びに、「創価学会、万歳! 」「わが偉大なる同志、万歳! 」と申し上げて、記念のスピーチとします。皆さん、ありがとう! (大拍手)