投稿者:懐刀 投稿日:2016年 4月 7日(木)01時44分8秒
正統性を日本人は昔から大事にする
政治の世界でも

天皇家、三種の神器
義経が壇ノ浦で安徳天皇とともに三種の神器の一つを海に沈めてしまい、兄頼朝が激怒したとか
江戸幕府末期、維新側は錦の旗をたてて進軍
最後の将軍、徳川慶喜は戦わずして逃げ出した

政治の世界でも正統性は物を言う

宗教はある面、正統性が命
しかし、その正統性が分かりにくい
なぜならば、宗教は心の世界だから

三種の神器や錦の旗のように目で見える物が正統性を決めるならば簡単

しかし、心の世界なので難解
大聖人の精神の正統な後継者は日興上人
興門派
身延は正統ではない
しかし、大聖人のお墓は身延

富士には日興上人が背負って持ってきた物だけしかない
大御本尊を背負って持ってきて下さったから良かったが、当時、大御本尊が何よりも大事であり、大聖人仏法の正統性を示す物であることを多くの人は知らない
大聖人のお墓がある身延の方が正統性があると思っていたのではないだろうか?

そして、宗門と創価学会
創価学会には大聖人の正統性を示す物は何もない
唯一あるのが、御書
しかし、これも、元は本山等所持のお手紙を纏めた

大聖人の正統性を示す物は宗門にはいっぱいある
学会は御書だけ

それでは、どちらが大聖人の正統性ある団体か?

それは学会である
正統性を示す物は何もないが、大聖人の精神を正しく実践しているのは、紛れもなく、創価学会の3代会長だからである

それでは、原田執行部とこの板の人達、どちらに正統性があるのだろうか?

原田執行部は先生の全ての御指導、映像、党、民音等先生が作ってくださったもの全てをもっている

こちらの板の人達が持っているものは、
学会が出版した先生の本、大事にとっている新聞の切り抜き(感涙しました)

こちらに正統性があるという物は何もない
この状態で普通の会員がこちらに正統性があると思うのは難しいかもしれない

自分もどちらに正統性があるのか?
思索しながら読んでいた
2009.1月
先生の御指導が投稿されていた

先生は明らかに原田さんに正木さんに譲るように御指導されていた
正木さんを更迭し、会則変更してまで、任期を延ばした原田さん

マスコミが書いた、クーデターという言葉は事実であると判断した
クーデターとは、正統性がないと言っていること
だから、こちらの人を信じることにした

創価学会は玉石混交な会である
先生は玉
他の幹部は石

こちらの板の人は先生という玉を何よりも大事にし、石を取り除く作業をしていると思う
石が多すぎて玉が見えなくなっている人が多い
玉だけを抱きしめて信心して行きたい

そして、仏法は勝負!
結果で勝負したい

4.24
池田門下の宿命転換の日にする
先生の真の後継者が会長になることを更に真剣に祈っていく

池田先生は若き日、戸田先生の事業のため、会合に参加できない時があった
そして無事事業を軌道に乗せ、戸田先生が会長に就任された
状況は違うかもしれないが
その時の先生の戦いを胸にまだ見ぬ、池田先生の精神の後継者の誕生をひたすら祈る

これ以上、4人組に池田先生の学会を任せる訳にはいかない

心に、未来にどんな絵を描くか
ありありと、目前に見えるがごとく、希望に満ちた絵を描かねばならぬ
悲観した暗い絵を描けば、その通りの方向に現実も動いていく
自分が不可能だと思えば、必ず不可能になる
もうダメだと思ったら、必ずダメになる
私は勝つ!
そう決めた人間が勝つ
ゆえに具体的に映像が浮かぶように、心に描き出すことだ
いつか何とかなるではなく、いつまでに何とかする!

決めた目標を紙に書いてもいい
声を出して読んでもいい
勝利の映像を心の底の底の無意識の層にまで、染み通らせるのだ

出来る。出来るに決まっている
やるんだ。どんなことがあろうとも、やりとげるのだ

実現した姿が、ハッキリと確信できるところまで、繰り返し、繰り返し、自分に言い聞かせることだ

希望は確信にまで固まってこそ、現実となる

この板に出会えたことに感謝します
みなさんの勇気ある投稿に感謝します

もし、この板に出会わなければ、学会がここまで、酷い状況にあることに気がつかず、近くの幹部を批判してばかりいたでしょう

この板のおかげで学会の現実を知り、真剣に祈ることが出来る

自分のことで終わってしまいがちな人生が学会のこと、先生のこと、会員のことを真剣に祈ることができる
境涯革命させていただいています
ありがとうございます