投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月 5日(月)21時24分39秒  

創価学会の立ち位置というのは、そもそも宗門に破門されたこと自体が想定外であり、
とんでもない状況であること。破門されたのなら、普通は広宣流布どころではなく、
まさに「元も子もない」という状態になる。
しかし、それは創価学会が悪であるということが前提ならばそうだが、
まさかの宗門のほうが悪という構図であることに問題の複雑さがある。

本来ならば創価学会は解散という流れなのだが、宗門が悪であるならば話は変わる。
悪に広宣流布はできないからである。
創価学会も破門前までは「戒壇の大御本尊を絶対」とし、
それこそが唯一の正義であると主張してきた。
それは宗門が邪教と化したとしても変わらない原理であり、
普遍的な概念であるはずでした。

しかし、今回の会則改正で、電源と端子の関係まで「
広宣流布を阻害する」ということで否定してしまった。
謗法の地にあるから大御本尊は受持の対象としないという話だけならば、
身延や他宗と同じ扱いで処理できたかもしれないが、
わざわざ普遍性のある大御本尊の概念までダメ出しをしてしまうとは。
これは破門前に主張してきた絶対性が絶対ではなく、
概念自体に不備があったことを意味します。

電源と端子の大御本尊の概念を否定することの狙いは何か。
私は新しい大御本尊の概念を構築し、大誓堂の御本尊を新たな
「広宣流布の大御本尊」という位置づけにし、
広宣流布のシンボルとして掲げていきたいのではないかと考えています。

そのために今ある大御本尊の概念は古いとしなければならない。
そうなると本当に新興宗教ということになり、
日蓮正宗創価学会が正義であったこと自体を否定することになる。

大御本尊の概念を批判することなく、そのままにしておいて、
あくまでも大御本尊を盾にしている宗門が悪であるという位置づけでよかったのではないか。

会則改正は、結果だけみるならば、仏敵に力を与え、生命力を増大させてしまった。
学会員は誰も得をしていない。

戒壇の大御本尊が宗門にあろうが、広宣流布の障害にはならない
なぜなら、今は例外(宗門が邪教)の状態であり、
原則論(戒壇の大御本尊が絶対)があてはまらないからである。

故に、わざわざ受持の対象としないなんていう声明を出す必要もない
それは逆に混乱を招く行為ではないか
そもそも、宗門との本当の決着は、布施を止めて、
宗門が存続不可能になるところまで追い込むことではないのだろうか。

創価学会の立ち位置自体が複雑であるのに、会則改正でさらに複雑になった。
まったくややっこしいことをしてくれたものです。