投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)08時55分42秒 通報
人類は古来より大自然の驚異に対して、恐れ敬う心(畏敬の念)とともに、
人間を含めた一切の現象の根底にある本質への解明を探究してきました。
西欧文明から発祥した哲学は、プラトンの
イデア論(※我々が肉体的に感じている対象や世界はあくまでもイデア<※神に似せて作った像>にすぎないという説)、
アリストテレスの形相と質量の説、また実在主義における存在論など、
事物をどう捉えるかということについて、実にさまざまな説が唱えられ、激しい論争を繰り返してきました。
一方、東洋文明から発祥した哲学は、
何と言っても釈尊を起点として、竜樹・天親・天台が有名です。
また、近年の原子論から素粒子論にいたる科学的分析も、
事物の本源的な実体を考察していこうとする哲学的な姿勢から生まれたものです。
要するに、哲学とは
森羅万象(一切の現象)の根底にあるものとは何かを問いかけ、解明していくことを出発点とした学問であり、
人生・世界・宇宙の究極を探究したものが哲学の終着点だと思います。
それに対して、
信仰はその「実体」なるものを認識し、認識した実体を根本にして、
人間の生活・人生・社会に価値を創造していく実践が主眼となります。
一般的に「信仰(信心)」といえば、釈迦仏法を思い浮かべる人が多いと思いますが、
私たち学会員は日蓮大聖人の仏法を信奉しています。
では、釈迦仏法と日蓮仏法の最大の違いはどこにあるのでしょうか。
まずはここから考えていきたいと思います。