投稿者:信濃町のネット対策チームの対策 投稿日:2016年 1月29日(金)22時32分28秒 通報 編集済
信濃町のネット対策チームの対策です。
昨日、書き込みをさせていただき様々な意見をいただきありがとうございます。
3.16とは?
戸田先生から池田先生へ広宣流布、師弟のバトンが渡された日です。
昨日紹介した冊子でも秋谷元会長はそのように発言しています。
他の座談会参加者も師弟について発言しています。
一例、原田会長の発言です。
理境坊で戸田先生が横になられた。その時、ある最高幹部が質問した。「先生、これからの学会の前進にとって大事なことはなんでしょうか?」と。
それに対して戸田先生は「次の会長を全魂込めて、皆で守ることだ」と言われたようだ。
私が昨日、秋谷や原田が「先生」と呼べないことを問題視した理由です。
戸田「先生」から池田「先生」へ、衆生を導く「師徳」がバトンタッチされたのが3.16です。
であるならば、年齢、信仰年数、役職関係なく、戸田「先生」を「先生」とお呼びしたように池田「先生」と呼ばなくては、3.16の意義を理解したとは言えないからです。
この冊子の参加者は、口では師弟と言いながら己心では、俺も戸田先生直系の弟子だとの命があるのではないのでしょうか?
歴史を紐解けば、日蓮大聖人の弟子でも日興上人に逆らった日向なども同じです。
俺も日蓮大聖人の直系の弟子だと。
折伏弘教などの結果では日興に負けたけど、自分も日蓮大聖人から直接訓練を受けたのだと。
結果、身延山のような邪宗を作りました。
秋谷が戸田門下だとの自負があるのは、他の方が書かれたエピソードでも明白です。
池田先生が秋谷に対して、「私のことを先生と呼べなかった」との指摘と符号します。
原田会長はそんな秋谷を中枢に戻したました。
おぞましい限りです。