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【五義の教を知る 第一章 五重の相対】31/34

投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月17日(日)08時36分54秒   通報
この哲理を理解した上で「五重の相対」を見ていけば、相対論で否定された諸経(権・迹・脱益)といえども、
真実(根源の法・南無妙法蓮華経)を説き示すために設けた方便であって、その本質は真実への道を指し示しているのです。

つまり、絶待妙の立場から爾前の諸経を見れば、諸経は「根源の妙法」を機能的に応用展開したもので方便即真実となります。

天台も法華玄義のなかで

「皆、本仏の因果の理法(根源の法・南無妙法蓮華経)を随縁的・機能的に応用展開し、
五時八教(天台の教相判釈)を用いて、種々の衆生のために法を説き仏事をなしていったのである」

と述べていますが、これは絶待妙を解明したものです。

以上、「依義判文・依文判義」と「相待妙・絶待妙」の二つを通して、
大聖人の考え方の発想の基盤を解明し、大聖人の第三の法門「種脱相対」を見てきました。

一度整理します。

種脱相対は釈迦仏法と日蓮仏法の相対のことをいい、末法で説く「本門」とは、
釈尊の説いた法華経本門ではなく、大聖人が初めて説いた「文底独一本門」のことを指します。

“事の一念三千(三大秘法義)”とは、発迹顕本した日蓮大聖人の生命(魂)を
そのまま一幅の漫荼羅として書き顕したのが「本門(人法一箇)の本尊」であり、これが大聖人の出世の本懐です。