師弟不二ARCHIVE

法華経の智慧424

投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月17日(火)18時29分51秒   通報
■ 最後まで「安国論」の御講義

名誉会長: そして最後、御入滅の寸前まで「立正安国論」を講義されておられた。

斉藤: はい。ご入滅の約一ヵ月前、9月8日に大聖人は身延を出発され、18日に、池上兄弟の兄・宗仲の館に到着された。今の東京・大田区です。

須田: 十一日間の旅というのは相当大変であったでしょうね。馬を利用しておられたとはいえ、高齢で、しかも、病身であられた。旅の疲れも激しかったに違いありません。

遠藤: しかし、大聖人は病身を押して、門下に最後の講義をされたのですね。

名誉会長: そう。渾身の力を振り絞っての講義であったに違いありません。師匠というのはそういうものです。大切な弟子のために、後世の人たちに道を開くために、わが身を惜しまないのです。それが「仏」です。仏とは、最後の最後まで戦う人なのです。
■ 「つねに伸びていくのだ!」 —- 牧口先生

名誉会長: 熱原の法難のさなかに教えてくださった「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書 p1190)。
この一句こそ、「信心」の精髄です。
牧口先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と言われ、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていたという。
仏法に年齢はない。法華経の功力は「不老不死」です。いな、一般の世間であっても、人生の達人には停滞はない。
ゲーテは言っている。「わたしは人間だったのだ。そしてそれは戦う人だということを意味している」(『西東詩編』、高橋健二訳)。また、ロマン・ロランは「苦悩と戦いと、これほど正常(ノーマル)なものがあるだろうか? それは宇宙の脊柱だ」(『ジャン・クリストフ』、山口三夫訳)と。
私は青年時代、ホイットマンを愛読したが、彼もうたった。「今こそ、私の言うことをよく了解し給え —- どんな成功の成果からも、それが何であろうと、さらに大きな苦闘を必要とする何ものかが出現することは、万物の本質のうちに具わっているのだ」(『大道の歌』から、長沼重隆訳)。
広宣流布も同じです。人間革命も同じです。これを二十一世紀を担う若き諸君は胸に刻んでもらいたい。安逸は滅びの因だ。「建設は死闘、破壊は一瞬」です。
これから二十一世紀にかけて、いかなる思想、いかなる運動が、民衆をリードしていくか。熾烈なデッドヒートが始まっていることを忘れてはならない。

斉藤: 四年半の長きにわたって、法華経について語っていただき、無量無辺の宝をいただきました。そして私が驚嘆するのは、池田先生が二十歳(数え年の二十一歳)の時、戸田先生の法華経講義を聴いて書かれた感想の中に、「真髄」は、すべて入っているということです。
そこで、最後に、この一文を掲載させていただきたいと思います。

名誉会長: わかりました。法華経を論じたと言っても、まだまだ浅いし、十分ではない。日蓮大聖人の仏法は限りなく深いものです。だから、これまでの研鑚をもとに、将来、さらに完璧な法華経論を目指してもらいたい。
妙法を広宣流布している我々にしか、法華経の真髄は決してわからないからです。