投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月15日(木)13時15分2秒 通報
■ 釈尊が最後に伝えたかったこと
須田: 何のための儀式でしようか。
名誉会長: 根本は、末法に上行菩薩が出現して、久遠の妙法を弘めますよという「予告」のためです。この「予告」「予言」があってこそ、真の妙法を弘める“人”が出た時に、「ああ、あれは法華経に予告された通りだ」とわかるからです。そうでなければ、経文の裏づけがなくなってしまうからです。
遠藤: そうしますと、法華経を編纂した人は —- あるいはグループは —- 「将来、久遠元初の妙法を説き弘める人が出現する」と、わかつていたわけですね。
斉藤: それは.当然、そうだと思います。
遠藤: どうして、そうわかったのでしようか。
斉藤: それは法華経二十八品の「限界」をわかっていたからではないでしようか。
遠藤: つまり、「自分たちにはわかっているが、経文上には説いてないことがある」と自覚していたということです。
須田: 「文底」のことですね。
名誉会長: 話がまた難しくなってきた(笑い)。
大事なところだから、整理しておこう。まず、歴史上の釈尊の悟りとは何だろうか。
遠藤: それは、やはり「不死の境地」を見たということだと思います。
斉藤: 「永遠の生命」「永遠の法」への目覚めですね。
須田: この「不死」のパーリ語の言語(amata)には「甘露」の意味があります。天界の妙薬で、それを飲むと不死になれるとされました。
斉藤: 「妙法」こそが真の「不死の妙薬」です。
名誉会長: そのことは御書にも仰せだね。
「甘露は不死の薬と云えり、所詮妙とは不死の薬なり(中略)十界己己の当位・当位の振舞・常住本有なるを甘露とも妙法とも不思議とも本法とも止観とも云えり、所詮末法に入つて甘露とは南無妙法蓮華経なり」(御書p831)
遠藤: 十界の一切衆生 —- つまり宇宙の森羅万象がすベて、変化、変化しつつ永遠であるということですね。
名誉会長: 法華経の眼を開けてみれば、一切衆生がすべて、無始無終の宇宙生命 —- 永遠の本仏の顕れです。それが諸法の実相です。
ゆえに一切衆生が、その身そのままで如来なのです。
大聖人は「如来とは一切衆生なり」(御書p770)と仰せだ。