師弟不二ARCHIVE

法華経の智慧307

投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 8日(木)09時25分11秒   通報
■ 地涌の菩薩 —- 境涯は仏、行動は菩薩

遠藤: それでは、神力品のあらましを見ていきます。「如来神力品」という名の通り、如来が宇宙を揺るがすような十大神カを示します。
まず、章の冒頭ですが、地涌の菩薩の「誓い」で始まります。
「釈尊滅後の娑婆世界」で、また「他の諸仏の入滅後の国土」でも、法華経を弘めていきます!こう誓うのです。

名誉会長: あらゆる仏の「入滅後」に広宣流布をしていきますという誓いです。
ここに「地涌の菩薩」の重大な、また不可思議な意義がある。結論を先取りした言い方になるが、仏という「一人」から「全民衆」への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに「地涌の菩薩」なのです。それはなぜか。
「地涌の菩薩」とは、内証の境涯が「仏」と同じでありながら、しかも、どこまでも「菩薩」として行動していくからです。いわば「菩薩仏」です。境涯が「仏」と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。
しかも現実の濁世で、世間の中へ、人間群の中へと同化して入っていかなければ広宣流布はできない。この両方の条件を満たしているのが「地涌の菩薩」なのです。だから神力品の最後に「斯の人世間に行じて」とあるでしよう。「世間に」です。人間の中へです。

須田: こうあります。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして畢竟して一乗に住せしめん」(法華経p584)
つまり、太陽と月の光明が、もろもろの暗がりを消してしまうように、この人 —- 地涌の菩薩は世間の中で行動し、生きとし生けるものを照らして、彼らの苦悩の闇を取り除く力がある。そして無量の菩薩を奮い立たせて、最後には成仏させる。すなわち広宣流布を実現していく —- こういう姿が描かれています。

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「御義口伝」から
此の妙法建華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり、惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟るなり、如来とは上の寿量品の如来なり神カとは十種の神カなり (御書p770)

通解
(妙法蓮華経如来神力の)妙法蓮華経とは、釈尊の妙法ではない。なぜなら、すでにこの神力品第二十一で、上行菩薩に付属されているからである。総じて、妙法蓮華経を上行菩薩に付属される儀式は、宝塔品第十一の時に始まり、寿量品第十六の時に(付属されるところの法体か)顕れ、神力品第二十一ならぴに嘱累品第二十二の時に終了するのである。また如来とは、この前の寿量品の南無妙法蓮華経如来のことである。神力とは(神力品で付属に際して現れた)十種の神力である。
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名誉会長: 地涌の菩薩は「太陽」なのです。また、「如蓮華在水」と言われるように、世間の中にあって、しかも世間の悪に染まらない「蓮華」でもある。

斉藤: 「太陽」と「蓮華」ですね。大聖人の「日蓮」という名前には、深い深い意義がありますね。

名誉会長: じつは、法華経においては「太陽」と「白蓮華」は「仏」のシンボルでもある。そういう研究をした人もいます。

遠藤: インド学者の松山俊太郎さんは、サンスクリット語の法華経の研究を通して、宝塔品以後の釈尊は「正法の体現者としての白蓮華」であり、しかも「日輪」と同一視されていると論じています。

斉藤: 大聖人御自身が「法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」(御書p1109)と仰せです。

名誉会長: 甚深だね。