師弟不二ARCHIVE

法華経の智慧177

投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月13日(木)17時43分33秒     通報
■ 「踊出」 —- 踊り出る菩薩群

遠藤: 踊り出ると言えば、大聖人は「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(御書 p1300)と仰せですね。
法華経の写本では、同じ羅什訳でも、「涌出品」ではなく「踊出品」となっているものもあります。ほとんどの漢訳経典を収める『大正新脩大蔵経』にある法華経でもそうです。敦煌から出土した法華経にも「踊出」とあります。

名誉会長: なるほど。地涌出現のイメージとしては「踊出」は、ぴったりだね。妙法弘通の使命に奮い立って出現するわけだから。
釈尊に言われて、しぶしぶ登場するのではない(笑い)。「さあ、自分たちの出番だ」と、待ってましたとばかり踊り出るのが地涌の菩薩です。

斉藤: 日蓮大聖人の御書の御真筆でも、何ヵ所か「地踊」「踊出」となっています。

名誉会長: 「踊り出ていく」自発の信心でこそ、「永遠の幸福」がつかめる。
戸田先生は信心の「大利益」を論じて、こう言われている。
「成仏の境涯をいえば、いつも、いつも生まれてきて力強い生命力にあふれ、生れてきた使命のうえに思うがままに活動して、その所期の目的を達し、だれにもこわすことのできない福運をもってくる。このような生活が何十度、何百回、何千回、何億万べんと、繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか。この幸福生活を願わないで、小さな幸福にガツガツしているのは、かわいそうというよりほかにない」(「大利益論」『戸田城聖全集第三巻』所収
信心の目的は、永遠の幸福です。今世は夢のようなものだ。その夢から醒めて、この一生で「永遠の幸福」を固めるための信心です。それを一生成仏という。だから今世を頑張りなさいというのです。そのためには、何が必要か。日蓮大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書 p1360)と仰せです。大聖人と心を同じくして広宣流布へ戦う人こそ、真の地涌の菩薩なのです。
広宣流布は「公転」です。人間革命は「自転」です。両者は一体です。
学会は「仏の軍勢」です。ゆえに魔が襲うのは当然だ。「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず」(御書 p230)です。魔は、狩り出し、叩き出し、打ち破るものです。折伏精神です。
「日蓮と同意」ならば、何も恐れるはずがない。牧口先生、戸田先生は戦時中、軍部の弾圧にも一歩も引かなかった。大聖人のご精神である師子王の心を、まっすぐに受け継いでおられた。

遠藤: そこに宗門との決定的な分岐点がありました。宗門は「日蓮と同意」どころか、弾圧を恐れて、大聖人の精神を土足で踏みにじってしまった。
■ 難即悟達、忍難即仏界

名誉会長: 大事なことは、私どもの原点である戸田先生の悟達が、この「獄中」でなされたという一点です。
法華経ゆえの投獄です。「四恩妙」に仰せのごとく、これは四六時中、片時も休まず法華経を身読していることに通じる。そのなかで、戸田先生は「我、地涌の菩薩なり!」と、豁然と悟られた。大難のまっただなかでこそ、人間革命されたのです。難即悟達です。これこそ、まさに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」の御金言を身をもって証明された姿といえよう。厳しく言えば、難なくして、本当の「日蓮と同意」とはいえないのです。
この「獄中の悟達」こそ、私どもの、永遠の原点です。法華経を現代に蘇らせた一瞬であり、「人間革命」という太陽が現代に昇った一瞬だった。その時、闇は深く、だれも気がつかなかったが、夜明けは戸田先生の胸中で始まっていたのです。

斉藤: その「獄中の悟達」については、戸田先生がいろんな形で言い残されています。それは昭和19年の初冬のことでした。この時、戸田先生は、法華経の真理をつかもうと、真剣な唱題を重ねながら思索を続けられていました。

遠藤: 「わかりたい、わかりたい」と独り言を言われて独房の中を歩きながら、寝ても醒めても法華経の原文と格闘された。このように戸田先生自身が書かれた小説『人間革命』に述べられています。そして、年頭からの題目が百八十万遍に達しようとしていたある日の朝、しんしんと清々しい唱題をされている時に、戸田先生は不思議な体験をされました。
「夢でもない、現でもない —- 時間にして、数秒であったか、数分であったか、それとも数時間であったか —- 計りようがなかったが、彼は、数限りない大衆と一緒に虚空にあって、金色燦爛たる大御本尊に向かって合掌している自分を発見した」。
「これは、嘘ではない! 自分は、今、ここにいるんだ! 彼は叫ぼうとした時、独房の椅子の上に座っており、朝日は清らかに輝いていた」。
ご自身が涌出品に示された虚空会の世界にいることを覚知されたというのです。

名誉会長: 世界広布の原点となったのが、この時の戸田先生の悟達です。
「我、地涌の菩薩なり!」 —- 。
この戸田先生の大確信から、広宣流布の壮大な流れが、ほとばしり始めた。

須田: 戸田先生は書いておられます。「今、眼の前に見る法華経は、昨日まで汗を絞っても解けなかった難解の法華経なのに、手の内の玉を見るように易々と読め、的確に意味が汲み取れる。それは遠い昔に教わった法華経が憶い出されてきたような、不思議さを覚えながらも感謝の思いで胸がいっぱいになった」「よし! 僕の一生は決まった! この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!」と決意された。

名誉会長: 不思議と言えばこれほど不思議なことはない。しかし、戸田先生にとっては、紛れもない体験であった。先生は、「霊山一会儼然未散(霊山一会、儼然として未だ散らず)」のお言葉を身で読まれたのです。

斉藤: 日淳上人は、戸田先生を「地涌の菩薩の先達」と称えておられます。戸田先生が先達となって、地涌の菩薩である七十五万世帯の学会員を、この世に呼び出されたのであると。七十五万とは南無妙法蓮華経の「七字五字」とも言われています。
涌出品は、まさに学会の生命線ともいうべき一品ですね。