師弟不二ARCHIVE

観心本尊抄の指導原理について 27/30

投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時42分11秒  

教行証御書には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり。此の五字の内に豈・万戒の功徳を納めざらんや。
但し、此の具足の妙戒は一度持つて後、行者破らんとすれど破れず。
是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し。三世の諸仏は、此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給う」(一二八二頁)とあります。

末法における真実の「戒」は、自行化他の南無妙法蓮華経を持つことであり、これを「金剛宝器戒」といいます。しかも一度この「戒」を持てば、たとえ持った人間が破っても絶対に消えることはない。すべての三世の諸仏は、南無妙法蓮華経を受持という「戒」によって仏になったというものです。このように認識していくと、大聖人の「出世の本懐」が明確に見えてくると思います。

聖人御難事には「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其中の大難申す計りなし、先先に申すがごとし。余は二十七年なり。
其の間の大難は各各かつしろしめせり」(一一八九頁)とあります。
ここで、釈尊・天台・伝教の出世の本懐を語りながら、大聖人自身の出世の本懐については何も言及していません。
しかし「余は二十七年なり」という言葉は、立宗宣言より二十七年目にして、
出世の本懐である「三大秘法」を成就したという意味になります。
ではなぜ、この時を三大秘法の成就と見たのでしょう。

ここに「其の間の大難は各各かつしろしめせり」
――出世の本懐まで大難が打ち続いたがそれを乗り越えてきた。
そのことは弟子たちがよく知っていることである――とありますが、
弟子たちもそのことをただ知っているだけでなく、佐渡の法難の時期、
多くの退転者を出すという悲哀を師匠と共に乗り越えてきました。

そして佐渡にいた大聖人のもとには、
主体的に集ってきた新しい門下が誕生し、彼らも受難を乗り越えています。
四条金吾が受けた難、池上兄弟が受けた難、下山の日永の受けた難、
数えきれないくらいの多くの大難がありましたが、弟子門下はそれをすべて乗り越えてきました。

「各各かつしろしめせり」とはそういう意味だと思います。
その信心の波動は、大聖人が身延山へ入ってからも止まりませんでした。

そして、門下が主体的意志で難を受けた最大の出来事が「熱原の法難」だったのです。