投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 5月28日(木)17時52分13秒 通報 編集済
2008年6月 青年幹&本幹(その1)
① S25年秋、戸田先生の事業が失敗。阿修羅の如く戦う。
池田家、白木家も借金の返済をした。戸田先生が両家へ。
私と奥さんが結婚するとき、戸田先生が一人で池田家、白木家に来てくれた。
そういう師匠なんです。
それを秋谷は嫉妬して「そんなことあるのか」なんて言って、全部、嫉妬なんです。
②矢島が理事長になり、一会員となった戸田先生を「戸田君」と呼び捨てにしていた。
私は師匠の仇を討ってきた。矢島等を倒してきたんだ。
「私の師匠は矢島理事長になるのでしょうか」「いや、私だよ」という『人間革命』の有名な場面はちょっと感傷に流れた感じだが、
実際は、「いや、私だよ」の後に、「では、私が、矢島を倒します」というやり取りがあった。
先生は、泣いて喜んでくれました。
私一人だけです。
③ 「メキシコへ行った夢を見た」との言葉に対しても、その場所に対しても手を打った。
そうやって全部やってきた。
④副会長もこれだけになると腐敗、堕落してくる。どこも一緒です(海外の事を触れられ)
⑤私は個人として学会に47億寄付してきた。将来、これだけやる人はいないでしょう。
⑥北条、秋谷は私の事を週刊誌に売った。
(昭和54年を言及されながら)
裏で全部流していた。(とおっしゃっていた。)
※秋谷→矢野→内藤国夫の(週刊誌)ルートこと