投稿者:谷川ひろし 投稿日:2015年 5月25日(月)09時12分43秒 通報
副会長・浅見が平成八年十月の総選挙において、
「先生は大阪の選挙で勝って会長になったが、自分はこの東京の選挙に勝って会長になる」
と増上慢きわまりない発言をしていたことは「天鼓三号」で触れたが、
この新進党を擁しての戦いで浅見は世田谷のある女性候補者の担ぎ出しを行った。
その女性候補とは今マスコミで騒がれている野村監督の沙知代夫人その人である。
浅見としては野村夫人を担ぎ出すことにより、
一名でも多く当選させ自らの野心の達成をなそうとしたのであろうが、
あにはからんや野村夫人は落選してしまった。選挙結果は次のようなものであった。
「小杉 隆 八四七三一 当選
手塚 仁雄 五一四一八 落選
野村 沙知代 四三三四七 落選」
一位の小杉氏の半分しか得票できなかった。
野村夫人が支払いを踏み倒すなどの悪評を知っていた地元学会員の反対意見を無視し、
浅見が強引に候補を推しつけた結果の惨敗であった。
しかも選挙の支援活動中は、
野村夫人のわがままで創価学会員の支援者たちは散々嫌な思いをし、そのためゴタゴタまで起きた。
まさに創価学会員の手弁当での支援活動は徒労に終わり、おまけに事後、組織にしこりまで残った。
「天鼓三号」でも指摘したように浅見の野心を新進党の小沢一郎党首が見抜き、
創価学会の戦力を全都に分散させてしまった。
そのため沢たまき、黒柳明、山口那津男、高木陽介といった公明党系候補は惜敗してしまった。
新進党の小沢一郎の意を受けてた東祥三に乗せられおだてあげられ、
京王プラザホテルスイートルームで選挙の指揮をとっていった浅見の判断の間違いは、この野村夫人の例でもよくわかる。
浅見はこの東京五区のような全く勝ち目のないようなところで幻惑され、
候補を立て、創価学会の組織力を分散させてしまった。
野心の故に現実が見えず、候補を乱立し敗北させたのである。
さて野村夫人の落選が決まった時、同夫人は、
「金庫を開けなさい!私の出演料はもらっていくわよ」と選挙対策事務所で強請した。