師弟不二ARCHIVE

諫言書「遠藤文書」の真相 六

投稿者:イササカ先生 投稿日:2015年 2月27日(金)15時37分44秒  

遠藤氏は文書のなかで、「教学部の行動は、大聖人の御指南にも、三代会長の御精神にも些かも悖るものではないと確信しております。
誤りであると言われるなら、御書に照らして池田先生の御指導に照らして、どこが誤りであるか、指摘していただきたい」と述べ、
「憂えるのは、ただ学会の将来であり『池田先生第一』で生きている真面目な
後輩たちの活動の道を閉ざしたくないという一心で申し上げた」
と、その真情を語って締めくくっています。

言い方を変えれば、「教学レポート」及び「遠藤文書」で訴えている根本命題は、”師弟の道”で生きるのか、それとも”師弟不二の道”で生きるのか、
ということだと考えます。
では、この根本命題を、小説「人間革命」第十巻から見ていきたいと思います。
人間革命十巻”一念”の章は、昭和三十一年、大阪の大闘争がその舞台です。

この全国的な大法戦で、当選は絶対に不可能と言われていた大阪が「まさかが実現」の大勝利を収め、勝利すると予想されていた東京が敗北した歴史が描かれた章です。この”一念”の章で、「師弟の道」と「師弟不二の道」の違いが詳細に述べられています。そこに綴られていることは「事に当たって透徹した信心をどこまでも貫きゆくことの困難さを、多くの責任者たちは未熟にもいまだ知らなかった。東京方面の責任者たちは、戸田の話を原理としては理解したが、団結の重要性を実践のなかで生かすことに戸惑って失敗した。

信心年数の古い多くの幹部のあいだで、新旧の人間関係のややこしさが心からの団結を妨げた」と述べられ、その団結の姿は「残念ながら信心のうえを滑走して、形式的なものに堕さざるをえなかった。笛吹けども人踊らず、最高責任者の交代を途中から余儀なくされる事態まで進んだが、時すでに遅く惜敗を招くのである」としています。

そして、これらの事例を通して「まことの指導者たることが、いかに至難であるかという事実」を語る好例としました。そして、東京方面の”敗北の因”を
「彼(最高責任者)の弟子たちは、師弟の道は心得ていたが、広布実践のうえの師弟不二のなんたるかを悟るものはほとんど皆無といってよかった」と、総括しました。つまり、”師弟の道”は心得ていたが、”師弟不二の道”は理解できなかったということです。