投稿者:シャクソンファイブ 投稿日:2017年 9月 4日(月)09時51分4秒   通報
おはようございます。
宮川氏に代わり、代理投稿致します。

No.5.我が師.池田先生との思い出。

「 勇敢なる宮川君、御苦労さま !ありがとう!
 一生は長い。忍耐の二字を忘れずに。七月二十七日 大作」

1999年 ( 平成 11年 )7月。脱講と宗門研修の日々。
詳細にメモした記録に目を通すと、この年( 平成11年 )に取った脱講数は、
52世帯75人。この月の活動は以下の如くである。

1999年7月1日
  午前中、脱講者水野宅法事。午後、山口県の大島脱講。

2日・3日、
  福岡県 筑紫県宗門研修。脱講。

4日(日曜日 )
  山口県油谷町、脱講者納骨。夜、本幹同時放送。

5日
  山口文化会館にて、教宣部長会。

7日
  上京。先生に山口銘菓をお届けする。
  創価新報取材。第一庶務・京藤局長より電話。
  (先生よりありがとうとの御伝言拝受 )

8日( 木曜日 )
  脱講者 樋上家3回忌。全国教宣部長会。

10日・11日
  宮崎県で脱講。

12日
  先生よりお茶と海苔を拝受(桜間副会長届ける)
  夜、山口県柳井文化会館にて。

14日
  上京。先生にお菓子をお届けする。
  改革同盟と本部幹部との連絡会議。

15日
  第一庶務・京藤局長より電話(先生からの御伝言拝受)

16日~17日
  徳山、下関脱講者座談会.

18日(日曜日)
  福岡県太宰府脱講。その後、筑紫野市の信法寺訪問して法論、
  鈴木道雅を破折。同席した御主人も脱講。

20日
  大分県日田市にて脱講。

21日に自坊戻る。

22日~23日
  四国、松山脱講。

24日
  山口県光市脱講。

25日
  山口文化にて打合せ、脱講。

26日
  下関にて脱講。夜は徳山文化会館にて宗門研修。

27日
  広島県の興福寺を訪問。青山聴榮、所化、法華講数名を相手に法論。
  続々と法華員が集合する。その数40名から50名。
  対論の場を本堂に変更して続行。
  青山も所化も、壮年部長も反論不能。その場で法華講員2名脱講決意。
  夜、岩国文化会館で宗門研修。
  青山、所化、法華講幹部らを相手に完全勝利した事を、
  同行した学会の方が報告し大拍手。

28日~29日
  福岡県での宗門研修。長谷川副会長より電話。
  (宮川さんの勇敢な戦いに対して先生が大変喜ばれて、
  御揮毫を下さったとの事)

30日
  徳島の盗聴裁判の勝訴判決。
  桜間副会長が先生からの御揮毫、御供養、記念品、
  お菓子を持参してくれる。
  夜は下松にて脱講。

最高に素晴らしき日。その御揮毫が先に紹介した御言葉である。
どんな陰の戦いであろうと、師匠は見ていて下さる。
今回の中国大布教区宗務支院長、青山ら50人を相手に論破した事は、
同行した会員さんか誰かが、先生に報告したのかもしれない。
しかし、師弟の絆、師を思う心は必ず師に通じるのである。
否、師の慈悲は宇宙空間全てに満ち満ちており、
弟子が如何にその慈悲を感じるかである。

40年程前、私が本山で修行中の所化であった頃の事である。
午前五時半からの朝の勤行の時、心臓辺りが急に息苦しくなった。
次いで、先生がお疲れになってるという思いが意識に上がって来た。

先生は、アジア訪問中であった。
先生のお身体がお悪いのだと強烈に感じ、涙が溢れ出した。
ただひたすら、必死に祈った。
「先生がお元気であられますように」
「どうか、お健やかであられますように」
「御本尊様!どうか、先生をお守り下さい!」
「先生を助けて下さい。私の命と引き換えにしても、先生をお守り下さい!」と、嗚咽しながら祈った。必死の思いであった。
勤行が終わって、涙でグシャグシャの私の顔を見て、
先輩僧侶たちは、「雄法、どうした?具合悪いのか?」
「お前、どこか痛いんなら医薬坊に行けよ 」と言った。

私は公衆電話から福岡の母に電話をかけた。
「もしもし、もしもし」と泣きながら電話する私の声に、驚いた母は、
「あきちゃんね?あきちゃんね?どげんしたの?何があったの?」と、
雄法と言う出家名を忘れて俗名で呼ぶほど、動転したようだった。

「先生が、お疲れになっているから、祈って!お願いします!」
と泣きながら、伝えると、
「よし、わかった!皆んなで題目あげるけんね。心配せんでいいよ!」
と言ってくれた。心の中でも、ずっと先生の御健康を祈り続けた。

それから、1週間経った頃、母が本山の私に面会に来た。
実は、私が母に電話した日の夕方に学会本部から電話があって、
先生からの御伝言ですとの事で、
「ありがとう。本当にありがとうございます。ご家族の皆さまに、
 くれぐれも宜しくお伝え下さい」
そして、先生が帰国されたらお届けするものがございます、と。

3日後に、先生から高級なお菓子とお小遣いが届いたとの事で、
「これは、一番にあきちゃん、雄法さんに報告せないかんと思って来たとよ」
との事。
お菓子だけ少し貰って、お小遣いのお金は本山では受け取れない為、
母に渡した。

同じ様な内容の話を、改革同盟の代表の吉川幸道氏からも聞いた。
彼が大石寺の総坊一之坊の住職をしていた頃、先生が丁度ブラジルに行かれて、世界広布の戦いをされておられる記事を読んでいたそうである。

ブラジルの寺院にいる弟の吉川連道( 日顕宗 )が帰国して、
勤行もしないで、ゴロゴロ寝てばかりいるので、
「お前、ちゃんとしろ!」と怒ったら、
「何言ってんだよ。ブラジルと日本は、昼と夜が真逆なんだよ。
 時差ボケで2日くらいは休まないと身体がダメになるんだよ」と。

その言葉にハッとして、先生は時差をもろともせずに戦っておられる。
俺は何をしてるんだと思い、先生のお疲れが取れるようにと
必死に祈ったそうである。
奥さんも何故、主人が必死に祈っているか分からなかった。

先生がブラジルから帰国された日、本部から先生の使いの方が来られ、
「ブラジル訪問中は、大変にお世話になりました 」との先生からの御伝言と
共に、大きな果物籠が届いたそうである。
奥さんが幸道氏に、「お世話になってて、あなた何お世話したの?」
って聞いたそうである。
本山の各塔中どの坊にも果物籠は届いてない、との事。

そして更に次の日も大きな果物籠が、
「ありがとうございます。お体をお大事に 」との御伝言と共に
届いたそうである。

「親思う心に勝る親心、今日のおとずれ何と聞くらん」
尊敬する吉田松陰先生の和歌である。
本日子の処刑が行われるとの、今朝の知らせを聞く親の悲しみ、苦しみは、
親を思う心の幾万倍であろうか、と。
されど親子は一世限りと仏は説く。
夫婦は二世に渡り、師弟は三世に亘ると。

弟子が師匠を思う幾万倍の思い、慈悲を持って教化下さるのが師匠である。
「返す返す、今に忘れぬ事は、頸(くび )斬られんとせし時、殿(四条金吾)は、供して馬の口に付きて、泣き悲しみ給いしをば、如何なる世にか忘れなん。
たとえ、殿の罪深くして、地獄に入り給はば、日蓮を如何に仏になれと、
釈迦仏こしらえさせ給うとも、もちいまいらせ候うべからず。
同じく地獄なるべし。
日蓮と、殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏、法華経も地獄にこそ、
おはしまさずらめ 」(1173ページ)

今、病床にある89歳の、大恩ある先生の御健康と御長寿を祈るべきと
指示すべきが、仮初めにも弟子を名乗る原田某の会長としての
弟子の姿ではないのか!

それどころか、師の平和思想、慈悲の思想の悉くに違背し、
権力闘争に明け暮れる貴様如きが、恐れ多くも我が師匠の弟子と名乗るならば、
あらゆる仏菩薩、梵天帝釈は、貴殿の口を引き裂き治罰する事を断言する。

世界の弟子分におかれては、師の遺言たる
「正義の走者」栄光の未来へ、君よ、羽ばたけ!新対話シリーズNo88.
を拝し、師の思い・広宣流布への誓いを汲み取って頂きたい。

今が龍ノ口の時であり、絶対に滅ぼす事は出来ない先生の創価学会、
発迹顕本の時である。