はじめに 池田 2 投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 7月17日(月)17時39分42秒 通報
21世紀への選択 池田・テヘラニアン対談 2/6
はじめに 池田 2
「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」などの先見的思想を世に問うた、わが師・戸田
城聖創価学会第二代会長の平和思想を永遠に留めるため、一九九六年二月、私は「戸田
記念国際平和研究所」を設立した。
私が長い間、温めてきた構想であった。
その際、初代所長への就任を、テヘラニアン博士にお願いした。
社会の現実のなかで苦しむ人々の側に立つ研究姿勢とともに、それを支える鋼のような
信条に、感銘を覚えたからであった。
就任の快諾をいただいた直後、私たちは再会した。
「文明間の対話」をめぐる対談を、二人で進めようと合意したのも、そのときだった。
以来、博士は、研究所の活動でも「地球市民のための文明間の対話」をモットーに、平
和研究のネットワークを世界に広げながら、常に時代の喫緊の課題に取り組んでこられた。
本年二月には、戸田第二代会長生誕百周年を記念し、沖縄で「文明間の対話」をめぐる
国際会議も開催した。
この会議は今後、モスクワや北京などでの開催が予定されており、その成果が、大いに
期待されるところである。
テヘラニアン博士は、宗教にも造詣が深い。
文明と文明との”橋渡し”を進める上で、宗教が薫発する「開かれた心」が重要となる
と強調しておられた。
博士は、ハーバードの大学院時代、著名な宗教学者パウル・ティリッヒ博士のもとで学
ばれたことがある。
二十世紀を代表する神学者の一人であり、仏教にも強い関心を抱いていたティリッヒ博
士は、宗教の本質を”存在に通じる概念の根源に、究極的にかかわること”と定義した。
私も、人間が善なる精神のすべてをかけて、「生の意味」を追求する宗教的精神の営み
のなかにこそ、生命の尊厳を覚知した「開かれた心」を薫発する土壌があると考える。
ティリッヒ博士は、「生命力とは、自己自身を失うことなしに自己を越えて創造すると
ころの力なのである」(大木英夫訳『生きる勇気』、平凡社ライブラリー)と述べた。
私は以前(一九九三年九月)、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して、ハーバード大
学で二度目の講演をした。
その折り、私がデューイの言葉を通し、「宗教」と「宗教的なもの」を立て分けながら
論じたのも、この「生命力」を念頭に、人間の内発的な力をいかに引き出すかというテー
マであった。