投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月26日(金)12時15分52秒 通報
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学会再発足のとき、立正佼成会も同じく小さな教団として、やっと息をついていたのは、自分たちのよく知ってい
るところである。しかるに、七ヵ年の時を経過して、彼らは大なる教団となって邪教の臭気を世にばらまいている。
大聖人の真の仏法を奉持して邪宗ののさばるに任せているのは、誰の罪かと私は自問した。「これは創価学会を率
いる者の罪である」と自答せざるをえないのである。
また自分は、文底独一の教理を説いていると深く信じているが、教本には文上の法華経を用いている。
この二つの罪は、御本仏の許すべからざるものである。私は大難をうけたのである。立つべき秋(とき)に立た
ず、つくべき位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として、大謗法の罪に私は問われたのである。あり
がたや、死して無間地獄疑い無き身が、御本尊の功徳はありがたく、現世に気づくことができたのである。
私は悩みに悩みとおしたのである。理事長の位置を矢島周平氏にゆずり、敢然と悩みの中に突入したのでった。
「転重軽重法門」のありがたさ、「兄弟抄」の三障四魔のお言葉のありがたさに、泣ぬれたのである。
兄弟抄の御仰せには、
「其の上魔訶止観(まかしかん)の第五の巻の一念三千は今一重立ち入りたる法門ぞかし、この法門を申すには必
ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く『行解既に勤め塗れば三障四魔粉然として競い起
こる乃至従うべからず畏(おそ)るべからず之に従えば将(まさ)に人をして悪童に向かわしむ之を畏れば正法を
修することを防(さまた)ぐ』等云々、此の釈は日蓮が身に当たるのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未
来の資糧とせよ」御書全集1087㌻)と。
以上二つの法門を身に読ましていただいた私は、このたびは路上ににおいて、「霊山一会の大衆儼然(げんねん)
として未だ散らず」して、私の身のなかに、永遠の姿でましますことと、拝んだのであった。
私は歓喜に燃えたのである。私は証のありしだい敢然と立つことを決意したのである。
(昭和二十六年七月十日)
(上)終わり