師弟不二ARCHIVE

「創価学会の歴史と確信」(5)

投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月20日(土)12時20分19秒   通報 編集済
戸田城聖全集 第3巻より

まことに大聖人の御金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。
牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪無くして罪人として、
ただ天照大神をまつらぬという”とが”で、学会の幹部が投獄されたのである。

このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、見るも恥ずかしきしだいであった。
牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである。

また、投獄せられた者どもも、あわれであった。
事業のつぶれる者、借金取りに責めらるる者、収入の道無く食え無くなる者等を続出して、あとに残った家族も、悲嘆にくれたのである。

このゆえに、まず、家族が退転しだした。疑いだした。これは確信なく、教学に暗いゆえであった。
投獄せられた者も、だんだんと退転してきた。意気地のない者どもである。勇なく、信が弱く、大聖人を御本仏と知らぬ悲しさである。

名誉ある法難に会い、御仏のおめがねにかないながら、名誉ある位置を自覚しない者どもは退転したのである。
大幹部たる野島辰次、稲葉伊之助、寺坂陽三、有村勝治、木下鹿次をはじめ二十一名のうち十九名まで退転したのである。

会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の三人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである。
いかに正法を信ずることは、難(かた)いものであろうか。
会長牧口常三郎先生は昭和19年十一月十八日、この名誉の位置を誇りながら栄養失調のため、ついに牢死したのであった。