投稿者:虹と創価家族 投稿日:2017年 4月19日(水)09時10分50秒   通報
公式に販売されている「普及版 池田大作全集 スピーチ2006年(1)」より抜粋します。
絶版になっておりませんので、文証として是非購入して頂きたい本です。
4・24を迎えるにあたり、再度「新・人間革命 大山の章」を再考して頂きたい。歴史に残すべきエピソードであるはずなのに、新・人間革命に掲載できない理由を。

※一部、原文の削除・修正箇所がありました。【 】内ですが、本筋は改ざんされていません。スピーチ原文に沿って掲載します。

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2006年1月12日 神奈川・静岡合同会議会

◆関西が立った! 埼玉も立った!
一、私が第3代会長を辞任したのは、この昭和54年の4月24日であった。
その時、真剣に、「偉大な学会と、宗門を発展させてきた大指導者が、なぜ、会長を辞めなくてはいけないのか」と、馳(は)せ参じた友がいた。
【藤原武君(現・関西長)をはじめとする関西の七勇士(ゆうし)であった。】
その目は燗々(らんらん)と輝き、その態度は「必ず自分が師を護る」という強い強い魂が光っていた。
今、彼らは、悠然(ゆうぜん)として関西で、【最大の】勝利【へ】の指揮を執りながら、戦っている。
あの時、友は熱い熱い涙を見せた。その光景は一生涯、忘れることができない。
私は言った。 「新しい時代を必ずつくる。君も一緒に頼む。あとになって、皆が、偉大な仕事をしたと驚嘆(きょうたん)するであろう」と。
学会を弾圧(だんあつ)した、恩知らずの邪宗門の連中は皆、もう立ち上がれないだろうと思っていたに違いない。心堕(お)ちた学会の幹部もいた。しかし、あとになって、幾人(いくにん)か、「あの時は、本当に申しわけなかった」と懺悔(ざんげ)してきた者もいた。
関西が立ち上がった。続いて埼玉の同志が立ち上がって、声をあげた。
「これだけの大功労(こうろう)の会長を、なぜ宗門も、幹部も、辞めさせたのか。『勇退』と言いながら、引きずりおろした。学会の将来は、池田先生がいなくては、めちゃくちゃじゃないか。分裂してしまう」こう憂(うれ)えていたのである。
「第3代会長を守れ! そうすれば、広宣流布は必ずできる」
これが戸田先生の遺言(ゆいごん)であった。最高幹部ならば、皆、知っていることである。
何よりも、日蓮大聖人が「難こそ誉(ほま)れ」「難こそ安楽」と教えられている。
何があろうと、いかなる波浪(はろう)があろうとも、私は、戸田先生との誓いの道をゆく。平和の道、希望の道、広布の道を、朗らかに歩み抜く。
一、大聖人の仏法の真髄(しんずい)は「進まざるは退転」である。広宣流布へ前進また前進──そのために、リーダーは心を砕くことだ。間断なく手を打ち続けていくことである。
戸田先生も、牧口先生も、一面から言えば、本当に、口やかましかった。
「こんなに細かいことまで」と皆が思うほど、神経をめぐらせた。
基本に徹し、よき伝統を守ることだ。それをないがしろにすると、あとで困る。崩れていく。
よき伝統というのは、皆が納得し、安心するものである。正しい指導をたもっていける。
教育の世界でも、優れた学校には、素晴らしい伝統があるものだ。
リーダーは、よき伝統を大事にしながら、「堅実な発展」を心していただきたい。
一、 きょう(12日)は神奈川と縁(えにし)の深い四国でも運営会議などが行われている。【これには、高橋四国長、松下四国婦人部長、また四国の方面幹事である西口総関西長と大内東海道副婦人部長らが出席している。】四国の同志とも心を通わせながら協議会を進めたい。