師弟不二ARCHIVE

「師敵対について」池田先生の指導④

投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月29日(月)16時54分14秒 返信・引用

レーニンとスターリンの大きな違いは《大衆との距離》であった。
レーニンの歴史的な評判はともかく、「彼(=レーニン)はいつも人民の近くにいたのでした。彼は農民の代表と会い、しばしば工場の集会で演説しました。彼はよく農村にも出かけ、農民と話し合ったものであります」といわれる。

「これに反し、スターリンは人民から隔絶しており、どこにも出かけようとはしませんでした。こういう状態が数十年も続いたのです」
「こんな有様でどうして地方の状況を知ることができたでしょうか」

思想の高低、正邪はともかく、「人民の中に入る」「人民のそばにいる」「人民とともに進む」の指導者の要件である。

仏法の歴史でも、釈尊も、大聖人も、日興上人も、つねに民衆とじかの交流をなされていた。
反対に、権威、権力の指導者は、民衆と隔絶し、高いところから見おろすように安楽に暮らしていた。
根本的な違いである。

自分が、革命を裏切りながら、しかも革命の大功労者を処分していく。
そんなでたらめを実行するには、どうしても「反レーニン」というレッテルを、何の文証も事実もなく押しつけ、うむを言わさず、処分する必要があった。

そうしながらスターリンは、自分のことをみずから「スターリンは今日のレーニンである」と宣伝していたのである。
いわば《一体不二》である、と。

「波木井」とのレッテル張りが何を意味するか、その一端がよくおわかりと思う。
私どもは、こうした歴史の大悲劇を、絶対に繰り返してはならない。

大聖人は、こう仰せである。
「邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり」(御書四九四頁)

――「邪」と「正」が肩を並べて立ち、「大乗」と「小乗」が争う時には、万事をさしおいて、謗法を責めなさい。これが折伏の修行である――。

大聖人は「万事を閣いて」と仰せである。
《時》にかなうのが成仏の法である。
今、広宣流布破壊の「仏敵」と戦いぬき、「正法」を守り、宣揚する人が「成仏」への大功徳を受ける人である。

【アメリカSGI第一回総会 平成三年九月二十九日(大作全集七十八巻)】