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北國新聞創刊110周年に寄せて

投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 9日(月)14時27分4秒   通報
北陸から文化の飛翔を
池田大作

北國新聞2003年1月23日

「文化とは何か。それは、一人ひとりの依って立つ基盤を互いに尊重しなが
ら、『みんなが幸せになっていこう』という人類特有の祈りであり、営みで
ある」世界的な経済学者ガルブレイス博士(米ハーバード大学名誉教授)の
文化の定義である。

博士が、日本の北陸を〝文化の理想の都〝として絶讃してやまないことは、よ
く知られている。ガルブレイス博士と私は、20年以上にわたるお付き合いとな
る。10年前の秋、私がハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して、
二度目の講演をした時には、講評者の一人としてスピーチして下さった。

講演の翌日、ご夫妻にお招きいただき、ボストン郊外のお宅に伺ったことも懐
かしい。博士は、1990年の秋、北国新聞社の招きで北陸を訪問されている。そ
の時も、帰国直前の博士と、東京でお会いした。北陸の印象を、博士は綴られ
ている。「一歩、金沢の町に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ」

「素晴らしい文化と学問・芸術から期せずして発散されている香気が、町全体
に満ち満ちていたのだ」(角間隆訳)。北陸には「天下の書府」と謳われる文
化王国を築き上げてきた自負と気骨が光る。権力は儚く、文化の命は長い。加賀
百万石の文化は、今も人々の心に脈打つ。例えば、石川県は、日展の入選者数が
人口比で全国一位、伝統工芸展の入選者は日本の一割に及ぶ。

また、輪島塗、山中漆器、九谷焼、加賀友禅、高岡銅器、庄川挽物木地、越中
和紙、井波彫刻、さらに、能楽、邦楽舞踊、茶道……みな伝統文化の粋にして、
そのまま世界に通ずる普遍の美を輝かせている。私が創立した富士美術館も,
世界の各地で「日本美術の名宝展」を開催し,北陸の美の一端を紹介してきた。
キューバのハバナ展には、あのカストロ議長も37年ぶりに美術館まで足を運び、
「なんという美しさだろう。日本の心を感じます」と鑑賞された。

文化は、人類の心を結ぶ橋といってよい。金沢が生んだ蒔絵の巨匠・松田権六
氏は、昭和の初め、国会議事堂の衆参両院本会議場の内壁面を漆塗りにすること
を提案し、実現された。漆は英語で「ジャパン」と言われるほど、日本文化の象
徴である。完成の折、氏は議員に手紙を送った。「議席は『ジャパン』とよばれ
る世界的な漆で包まれた。諸公はその漆(ジャパン)にふさわしい世界性のある
高い識見を大いに吐いていただきたい」。

気宇壮大な北陸文化人の面目躍如である。この政治家への叱咤は、今も変わら
ぬ国民の声であろう。21世紀の今、社会の再生のために、地域の独自性を再発見
する新しい競争が始まっている。もはや、全国が東京化を目指して、町も風景も
生活も画一化し平準化してきた時代は、完全に終わった。豊かな精神性を活かし
つつ、知的・芸術的・科学的産業を発展させゆく北陸は、この新しい競争のモデル
になると思う。

その推進力の要が、活字文化である。北國新聞は、明治26年に創刊されて以来、
地域に密着した、文化の復興と創造の発信基地の使命を一貫して果たしてこられた
。初代社長にして主筆の赤羽寓次郎氏は、創刊の辞で「あらゆる社会の森羅万象の
案内者となる」と高らかに宣言された。泉鏡花、徳田秋声、室生犀星という、錚々
たる郷土の文人の小説を連載されてきたこともロマン薫る歴史である。

栄光に包まれた北国新聞創刊110年、富山新聞創刊80年の佳節を、心から祝賀申し
上げたい。近年、北陸は環日本海文化の一大中心地として一段と光彩を増してきた
。冷戦を終結させた立役者のゴルバチョフ元ソ連大統領も、ロシアと日本海沿岸
地域との交流の進展を熱く見つめている一人だ。元大統領と今は亡きライサ夫人が
格別に喜ばれたのが、桜花舞う創価大学の「万葉の家」での語らいである。

200数10年前の富山の合掌造りの民家を、そのままキャンパスに移した茅葺き屋根
を見上げ、ご夫妻で微笑んでおられた。「子どものころ、同じような造りの家に住
んでいました。故郷に帰り、童話の世界にいるようです」と。元大統領は、雄大な
カフカス山脈を仰ぐスタープロポリという農村の出身である。活力あふれる庶民の
大地に育ったことを誇りとされながら、私との対談集でも語っていた。「新たなる
ヒューマニズム、は、勇気ある人生への尊敬を前提とするものです。

慎ましく、愚痴をこぼさず、人間としての責務を果たしつつ、学び、働き、子を育
て、代々受け継がれてきた伝統を守って生きる、無数の庶民への尊敬の心を大前提
とするものです」歴史の底流を動かす力は「官」ではなくして「民」である。85年
前、富山の女性たちから始まった米騒動に注目し、〝アジアの民衆の自覚を高める
功績〝と讃えた中国人留学生がいた。

その青年こそ、今日の大中国の繁栄の礎を築かれた周恩来総理である。この周総理
と共に日中の国交正常化へ生命を注がれたのが、北陸出身の信念の政治家・松村謙
三先生だ。松村先生は、若い私に「ぜひ、周総理に会うべきだ」と勧めて下さった。
お二人の思い出は尽きない。地球一体化への流れは、年々、加速している。だから
こそ、共々に平和と幸福を志向した深き文化の交流が、益々、重要となろう。

なかんずく焦点は、青年である。青年と青年の友情を育む人間教育の努力のなかに、
永続的な発展と安定が開かれるからだ。日本各地に学ぶ留学生たちを北陸に招いて
の交流行事「ジャパン・テント」には、私の友人であるガリ前国連事務総長など、
多くの識者も出席されている。ある留学生が感銘深く語っていたという。

「時は流れても、地球のどこかで、やさしい日本の石川の人々を思い続けて自分を
励まします」私の師・戸田城聖前会長は、日本海に臨む塩屋(加賀市内)で生を受
けた。忍耐強く、スケールの大きな北陸の血潮が流れていた。「大鵬の空をぞ翔け
る姿して千代の命をくらしてぞあれ」これは、私に下さった恩師の和歌である。

地図を開けば、日本列島は、能登半島を頭として、翼を広げた大鵬と見える。「日
本の誇り・北陸」「世界の憧れ・北陸」の新たな千年への大いなる文化の飛翔を、
私は祈ってやまない。

(いけだ・だいさ<=創価学会名誉会長、創価学会インタナショナル会長)