投稿者:ダメよ~ ダメダメ 投稿日:2016年10月 8日(土)20時50分43秒 通報 編集済
宝冠さんのご投稿より。
>五老僧の時代ならば
>大聖人の御書に従い、正しい人を探し出して、つけばいい
>しかし、天台宗のように座主が違背している時、どうすればいいのか?
>池田先生は宗門に対して、最後まで、切り捨てることなく、御書を根本に広布の為、会員の
>為、言うべきことは言って下さいました
>結果、目の上のたんこぶとばかりに破門してきました
>宿板の皆さんの行動は正しいと思います
>その上で座主が狂った時、どうするべきか?
>先生の御指導がありましたら、教えて頂けませんか?
>よろしくお願いします
以下は、平成四年十月。関西最高会議での池田先生のスピーチよりの抜粋です。
「第十七条「時の貫主為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
「たとえ、時の貫主(法主)であっても、仏法の正義に背いて、勝手な自説を立てた場合には、
これを用いてはならない」
日興上人は、仏法を破壊する、破法の法主には、絶対に従ってはならないと誡められている。
この条目が二十六箇条の中に入れられていること自体、日興上人は「法主は無謬(誤りがな
い)」などと思っておられなかったという明らかな証拠である。
それどころか日興上人は、従ってはならない法主が出現することを危惧されていたと拝される。
ゆえに私どもが「己義」の日顕に従わず、厳しく、その謗法を呵責していることこそ、日興上人
の御遺誡を厳守している実践なのである。」
「第十八条「衆議為りと雖(いえど)も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」
「たとえ宗内の多数で議決したことであっても、(大聖人の)仏法と相違があるならば、貫主はこれを打ち砕くべきであること」
「これは第十七条と対(つい)になっている。いずれも〝仏法に相違
すれば〟とある。すなわち、正邪の判定は権威(貫首)によるのでもなく、多数
(衆議)に従うのでもない。どこまでも仏法の『正義』にかなうか、否かによる
のであると――。そのための『基準』は大聖人の『御金言』であることは言う
までもない。御書根本の正しい多数意見をも『貫首』の権威で砕こうとしてい
る日顕は、この御遺誡に完全に違背している」