投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月15日(木)07時23分30秒 通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。
2008-9-3 【新時代第21回本部幹部会】
■一、わが同志が、わが偉大な弟子が、本当に、元気いっぱいに集い合った。
全世界の代表が相まみえ、激励し合う、創価学会の広宣流布の世界、「万歳!」と、まず私は叫びたい(大拍手)。
創価学会は勝った!
世界一である(大拍手)。
妙法を広めた功徳は大きい。広宣流布をした努力が、すべて自身の功徳にならないわけがない。皆さんが仏にならないわけがない。
永遠の功徳が、子孫末代まで流れ通っていく。それが日蓮大聖人の仏法である。
仏法を広めた功徳は計り知れない。必ず、因果の法則で、わが身に返ってくる。
「功徳・無量無辺なり」(御書557ページ)。これが大聖人の御約束である。
皆さん方は勝った!
これからも断じて勝とう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
● 師弟の勝利劇
一、きょうは、日顕宗と戦う僧侶の方々が参加されている。
邪宗門と決別した意義は、後になればなるほど、明確になるであろう。
仏法は、永遠性の次元から見なければ分からない。ここにお集まりの皆様、一人一人が大勝利者なのである。
思えば、学会が、宗門に、どれだけ供養してきたか。
終戦後、農地解放により、大石寺の土地は約5万坪であった。それが、戸田先生の懸命の働きによって、約17万坪にまでなった。
そして、私の時代に約117万坪へと大拡大したのである。すべては、広宣流布即世界平和のためであった。
威張りくさった宗門は、少しの恩も感じていない。
しかし、この功徳が、生々世々、皆さん方を包みゆくことは間違いない。
御書には「日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず」(1359ページ)と仰せである。大功徳の因を積んだのである。
戸田先生と私が建立寄進した末寺は、356カ寺にのぽる。
学会の宗門への赤誠の供養は膨大である。学会が本山を護るために行った登山会には、のベ7000万人が参加した。
しかし、宗門は、もうけるだけ、もうけると、何のまっとうな理由もなく、スパッと学会を切った。
これが坊主の、邪教の実態である。
これほどの計り知れない大恩ある学会に嫉妬し、恩を仇で返したのが、日顕宗であったのだ。
邪悪な陰謀は、ことごとく失敗した。今や落ちぶれる一方である。
それに対し、学会は、大聖人に直結する世界宗教として、未曾有の大発展を成し遂げた。皆さんがよく、ご存じの通りである。
きょうも、これほど立派な青年リーダーが世界中から集まった。私はうれしい!
創価の正義の師弟は勝ちに勝った!
おめでとう! ありがとう!(大拍手)
大仏法の「太陽」は赫々と昇った。暗き邪教は消え失せた。
学会が立ち上がり、日本の広宣流布の基礎は完璧に作り上げられた。我らの舞台は今、世界へと大きく広がっている。
その前進を、各国の識者も、駒待を込めて、注目している。
■ 一、私も、これまであらゆる攻撃を一身に受けてきた。しかし、すべてに打ち勝って、今日の創価学会をつくりあげてきた。
牧口先生、戸田先生は偉大だった。軍部と戦って、牢獄にまで行かれた。大難と戦い抜かれた。
だから弟子も偉大でなければならない。
反対に、大恩ある師匠の存在を忘れて、自分が立派そうな格好をし、偉そうな顔をする。
さらには、師匠を自分のために利用する。結局は、自分一人のことしか考えない。
これは人間にとって最低の生き方である。悪へと通じてしまう。
● 迫害の方程式
「キルケゴールは述べている。
「嘘と中傷と厚顔と邪悪で固めた言葉を吐き散らす──すべてこれ人を傷つける喜び、卑しむべき金銭欲のため」(田淵義三郎訳「わが著作所動の視点」、『キルケゴール著作集18』所収、白水社)
鋭い青葉である。
私も、こう見抜いてきたから、平然としている。
また、彼は綴った。
「ひとりの人間に向かってほとんど必然的に社会の二大勢力たる嫉妬と愚劣とが同盟して対抗し、彼にあびせかける虚言と誹謗」(松浪信三郎・泉治典訳「瞬間」、『キルケゴール著作集19』所収、白水社)
これは、迫害の一つの方程式を示したものといえようか。
釈尊も、日蓮大聖人も、正義ゆえに誹謗された。
牧口先生、戸田先生もそうだった。私も、そうである。
一、ともあれ、戸田先生は牧口先生に仕えた。私は戸田先生に仕え切った。先生を護り抜き、「弟子の道」をまっとうした。
これは、私の永遠の誇りである。
これが「創価の師弟」である。
■ 一、キルケゴールは当初、良識ある人々から、自分を擁護する声が上がると思っていた。しかし、現実は、まったく逆であった。
キルケゴールの友人たちは、臆病にも沈黙していた。さらに、彼を妬んでいた学者や知識人たちは、誹謗中傷に喝采さえ送った。
真実を守るべき知性の使命と責任を、自ら裏切った姿であった。
ここで屈服すれば、人間の真実と尊厳は失われてしまう──。
事件が起きる前には、もうこれで著作活動から身を引こうとしていたキルケゴールであったが、毅然と一人立ち、言論の暴力に猛然と反撃していったのである。
「大聖人の仰せの通りですね」
一、キルケゴールに対する誹誘は続いた。悪意の毒は、社会に広がった。
来る日も来る日も中傷。どこへ行っても、侮蔑の目──。
その残酷さは、経験した者でなければ分からないであろう。
私も数知れぬ中傷を受けてきた。“あなたほど迫害された人はいない。よく耐えられましたね”と、心ある人は驚いていた。
嵐の中でも妻は、いつも、にっこりと笑って、「大聖人の仰せの通りですね。牧口先生、戸田先生への中傷に比べたら、どうってことありません」と明るく語っていたものだ。
優れた人がいじめられるのを見て喜ぶ。それが、狂った社会の現実である。
若い皆さんは、人を頼ってはならない。頼る必要もない。皆さんが、聡明に、理想的な世界をつくっていくのである。
一、迫害の日々にも、キルケゴールは一歩も引かずに言論闘争を繰り広げた。徹底して反撃した。
俗悪週刊紙「コルサール」は、ついに、キルケゴールヘの中傷から手を引くことを余儀なくされる。
発行者が、週刊紙を人手に渡して国外へ去った。主な執筆者も去った。やがて「コルサール」そのものが存続できなくなったのである。
一、キルケゴールは綴っている。
「生産が私の生命だった」(大谷長訳『キェルケゴオル選集第13巻』人文書院、現代表記に改めた)
生産し、創造する。そこにこそ、生き生きとした生命の脈動がある。我らの運動は、創造的生命を開花させていくのだ。
キルケゴールは、深い憂いも、激しい苦悩も、何もかも、乗り越えることができた。新しい創造に打ち込んだゆえに。
さらに、キルケゴールは「世間が私に襲いかかった、虐待、恐らくそれは外の人ならば不生産にされてしまっただろう──所が私はそのため一層生産的になった」(同)と。
まるで学会員の心意気のようだ。
迫害をも創造のバネにして、キルケゴールは、人生の最後の最後まで、熾烈な言論戦に身を投じていったのである。
一、私もまた、逆境の時こそ、智慧をわかして、「こういう指針を示そう」「こうやって味方を広げよう」と、人知れず手を打ってきた。ただ一人、悩み抜き、祈り抜きながら。
皆が苦しんでいる時に、自分は、すずしい顔をして、高みの見物を決め込む。そんな卑劣な傍観者になってはならない。
無責任な人間は、敵よりも始末が悪い。
これからは、若き君たちの時代だ。後継のあなたたちの時代だ。
先輩の皆さんは、最敬礼する思いで、後輩に未来を託し、心から応援していかねばならない。
上に立つ人間は、威張るためにいるのではない。逆である。
上に立ったら、後輩のため、皆のために、命を捨てる覚悟で尽くしていく。そうやって私は戦ってきた。
一、真実の師弟の道は、立場では決まらない。心で決まる。行動で決まる。
私は、第3代の会長になったころ、大田区小林町の小さな家に住んでいた。ある時、大嵐の日があった。
吹けば飛ぶようなわが家である。一人の同志が、安否を気遣い、嵐の中を駆けつけてきてくれた。
「先生、大丈夫ですか! 私が守ります」と。その真剣な心を、今もって忘れることができない。
■ 私は青年部の時、戦って戦い抜いた。戸田先生は、何があっても「大作!」と私を呼ばれた。打ち合わせは、時に深夜まで及んだ。1から100まで、急所に手を打ったのは、私であった。
これが弟子である。
今この時に集われた男子部の諸君! 女子部の皆さん! 男女学生部の皆さん!
一人一人が、使命の天地に勝利の旗を、晴れ晴れと打ち立てていただきたいのだ。
広宣流布の将の将たる、わが青年部に、後継の印綬を、今こそ託したい(大拍手)。
● 何ものをも恐れるな!
一、キルケゴールは、こうも言った。
「私は戦っている間中は確乎不動なのだ」(大谷長訳『キェルケゴオル選集第13巻』人文書院、現代表記に改めた)
その心が私はよく分かる。行動の人、率先垂範の人であってこそ、絶対的な信念、勇気を持てるのだ。
何ものにも動じない!
何ものをも恐れない!
これが創価の心である。広布のリーダーの皆さん方は、私と「同じ命」で進んでいってもらいたい。
一、「真に偉大で崇高なことをなしとげようとすると、臆病はそれを妨害する」(浜田恂子訳「四つの建徳的講話」、『キルケゴールの講話。遺稿集2』所収、新地書房)
これもキルケゴールの言葉である。
心に巣食う”臆病の虫”は、退けなくてはいけない。
「臆病」は敗北だ。
「勇気」こそ、偉大な勝利の力である。
一、同じくキルケゴールは綴った。
「肝要なことは、われわれ全部が、ひとりひとり各人が、より賢明になることである」(原佑・飯島宗亨訳「アドラーの書」、『キルケゴールの講話・遣稿集9』所収、同)
その通りだ。一人一人が賢明になり、人生を勝利するための仏法である。
全員が賢明になるのだ。全員を賢明にしていくのだ。
民衆一人一人が強く賢くなり、団結すれば、上に立つ人間も、威張ったり、不正をしたりできなくなる。平等の関係ができる。
そうした「正しい世界」をつくるのが本当の創価学会である。
■ 一、学会は、全世界に広宣流布をしている団体である。
ちっぽけな島国の日本とは、全然、スケールが違う。
私ども創価の非暴力の人間革命の運動が、どれほど深き意義を持っているか。それを、世界の一流の知性は、鋭く見抜いている。本当に大きな期待を寄せてくださっている。
世界の数々の大学・学術機関からの栄誉も、その一つの明快な証しにほかならない。
〈現在、世界の大学・学術機関から池田名誉会長に授与された名誉学術称号は、世界五大州から「242」を数えている。さらに決定通知を含めると「263」となる〉
すべては、尊敬する会同志の皆様方とともにお受けした栄誉である。そしてまた、未来を担う青年たちに譲り託す宝冠である(大拍手)。
私たちは、50年先、否、100年先の人類が進むべき正道を歩んでいるのである。
その先駆の使命の誇りを持っていただきたいのだ(大拍手)。
● 師子王の如く自身を鍛えよ
一、いかなる組織であれ、柱となる人間が立派になれば、後輩も皆、立派に育つ。
要は、自分だ。師子王のごとき自分自身であるかどうかだ。
若き日より私は、汚れのない、きれいな心で御本尊に仕え、広布の師に仕えるのが学会の姿であると信じ、戸田先生のために戦ってきた。
先生の行き詰まった事業を守り、財政難を助けるために奔走した。先生から「そばにいてくれ」と言われ、通っていた夜学も断念した。その代わりに「戸田大学」で勉強を教わった。今の私があるのは、すべて戸田先生のおかげである。
私は生涯をかけ、そのご恩を返している。
師への尊敬と報恩を忘れてしまえば、その一念に狂いが生じる。
学会は信心の世界である。大聖人直結の世界である。
”遊び””威張り””腐敗”がはびこる世界とは正反対の、峻厳なる師弟の世界でなければならない。
● 「師と同じ心」で「増上慢」を破れ
一、師弟あるかぎり、学会は崩れない。
それを分断し、壊そうとするのが、恐るべき魔の正体である。
昭和54年(1979年)5月3日、私の実質的な会長辞任の総会となった本部総会が、東京の八王子で行われた。大難の嵐が吹き荒れるなかであった。
ちょうど、その日の読売新聞に、日本とアメリカの、国民の「生活意識」を調査した結果が掲載された。日本人の「尊敬する人物」が紹介されており、その第6位に、私の名前が出ていた。ある人が笑顔で教えてくれた。〈存命中の民間人では第1位〉
不思議なタイミングでの出来事であった。
一、御聖訓には、三障四魔は「紛らわしく入り乱れて競い起こる」(御書1087ページ、通解)と説かれている。
私たちは、そういう動きを見破る鋭さを持たねばならない。愚かではいけない。
皆で、素晴らしい学会をつくろう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
皆が「師と同じ心」で進む。それが三代の師弟の心であり、願いである。大聖人、釈尊の心に連なる「正義」の心である。それが「慢心」を打ち破る力となる。
● 信心強き人が最も尊貴な人
「私はこれまで、広宣流布の前進の、矢面に立ってきた。一日も気の休まることはなかった。生命に及ぶ危険を感じることもあった。
大聖人が「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)と仰せになられた通り、難に立ち向かう覚悟なくして、広布の指揮を執ることなどできない。
このような厳しいことを申し上げるのも、学会が仏法の世界だからである。
世間の立場や仕事の肩書などは、信心の位とは関係がない。信心強き人が、最も尊貴なのである。
ゆえに創価のリーダーは、広布へ戦う友に尽くすのである。それができる人が、偉大な人である。できない人には、創価の指導者の資格はない。
この根本の精神を知り、継承していかなければ、健気な会員に対して威張り、平然としているような、とんでもない人間が出てくる。そして結局、学会自身が損をしてしまうのである。
ともあれ、どのような状況になろうとも、我々は戦おう! 広宣流布のために! そして勝とう!(大拍手)
私は、尊き前進を続ける皆さんを讃えて、「創価学会、万歳!」「同志の皆様、万歳!」「海外の大事な同志、万歳!」と心から申し上げたい人大拍手)。〈参加者で勢いよく万歳三唱。続いて、名誉会長を導師に全員で唱題した〉
長時間、本当にご苦労さまでした。お元気で! 海外から参加していただいた、研修会の皆様もありがとう!
サンキュー!(大拍手)
※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました