投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月25日(木)08時20分46秒 通報 編集済
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。
2007-11-8 【新時代第12回本部幹部会】
■ 一、海外の皆さん、ようこそ! 関西の同志、ありがとう! 本当にあがとう!(大拍手)
どうも、しばらく! 皆さん、お元気ですか!(大拍手)
きょうは海外から大勢の友が見えておられる。海外の同志の万歳を、そして関西創価学会の万歳をしよう!
関西は、日本の広布の源流だ。私が築いた関西である(大拍手)。
〈ここで、関西創価学会とSGIの万歳を全員で行った。
続いて関西吹奏楽団が関西の歌「常勝の空」を演奏。終了後、熱演を讃えて、関西音楽隊の角穴隊長、同吹奏楽団の長富楽団長に「関西スピリット賞」が贈られた〉
おめでとう!(大拍手)
では次は?〈司会が「池田先生よりスピーチがあります」と力強く〉
外国の方が大勢見えているのだから、英語なども交えて司会をし、歓迎の言葉を述べてもいい。
そういう心づかいのなかに「進歩」がある。そのように智慧をめぐらせるのが、幹部の役目である。
●人間革命の哲理を世界が希求!
一、私の小説『人間革命』の原稿は、学会本部に永久保管されている。
その原稿の”綴り”の第4巻の扉に、私は、ここ関西の地で一文を書き記した。
「『人間革命』の此の原稿は/わが師 戸田城聖先生の真実の/広布への大ロマンにして/弟子 池田大作が/確かに書き留めしもの也/一切の批難と謀略の言を/信ずること勿れ/わが門下に深く留む」
嵐のなかで迎えた昭和55年(1980年)の5月3日、私は、こう厳然と綴り、恩師に捧げたのである。
小説『人間革命』の主題。それは──
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
これは仏法に基づいた永遠の法則であり、鉄則である。
この主題の言葉は、アメリカの箴言集にも、人類史に輝く「珠玉の明言」として掲載された。〈アメリカの著名な出版社であるクロニクルブックス社の箴言集『珠玉の叡智1001の名言』に、日蓮大聖人、釈尊の言葉とともに収録。他に、ソクラテス、プラトン、ゲーテ、トルストイ、ガンジー等の英知の箴言が掲載されている〉※箴言=いましめとなる短い句。格言(広辞苑から)
今、この宿命転換の大哲理を、世界が求める時代となったのである。
小説『人間革命』の冒頭、私は、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と綴った。
そして、小説『新・人間革命』の冒頭には、「平和ほど、尊きものはない。平和はど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と──。
アメリカ中部のデンバー市にある.「池田桜庭園」、モンゴル東部の「池田平和記念公園」などに、この、小説『新・人間革命』の冒頭の言葉を刻んだ銘板や碑が、設置されていることも、報告しておきたい(大拍手)。
●広布の友ほど偉大な人はない
一、大きく見れば、世界は人間主義に向かって進んでいる。精神の変革が重要であると気づき始めた。
政治も大事であるけれども、政治は現実の課題である。
仏法は永遠である。「心の世界の法則」による変革を目指すものである。
あくまでも、仏法の世界は永遠不変の幸福の根幹であることを忘れてはならない。
為政者など、偉いように見える人間もいるかもしれない。しかし、仏法流布の方々の偉さは特別なのである。
「法妙なるが故に人員し」(御書1578ページ)
私たちは、全人類に希望を贈る、最高の広宣流布の大道を進んでいる。平和と幸福の大建設へ、悠然と前進しようではないか(大拍手)。
一、御聖訓に、「悉達太子(しったたいし)(=釈尊)は人界より仏身を成ず」(同242ページ)と仰せである。
人間自身の中にこそ、最も尊く、最も強く、大宇宙をも包みゆく、壮大な「仏」の生命がある。この尊き生命を、万人が自分らしく光り輝かせていく──それが「人間革命」である。
●全力を挙げて!
一、戸田先生はご指導された。
「青年には意気がある。青年を育成せよ」
今再び、青年を育成したい。
全力を挙げて青年部を信頼する。全力を挙げて青年部を尊敬し、青年部を先頭に立てて、前進する。そういう時代である。
かりにも、青年を下に見たり、利用したりすることが、あってはならない。とんでもないことだ。
戸田先生は、青年の私を、一番弟子として、それはそれは、大事に育ててくださった。亡くなられる間際まで、薫陶してくださった。
その先生に、私は命を捧げてお仕えした。
先生の事業が失敗した時には、夜学を断念して働き、負債を返済するために奔走した。
戸田先生は私に、「君には恩がある」と、何度も言ってくださった。そして、学問を教えるため、特別に個人教授をしてくださった。
その私が、今、世界中から知性の宝冠を拝受するまでになった。これが、師弟である(大拍手)。
●昭和54年4月「関西」の怒り
一、私が第3代会長に就任した時、全国の学会員の皆様から、お祝いの声が居けられた。
そのなかで、関西からいただいた声が、最も多かった。
また昭和54年(1979年)、私が会長の辞任を余儀なくされたときに、最も強い怒りの声をあげてくれたのも、関西の同志であった(大拍手)。
あの折、会員の皆様からいただいたお手紙やご報告を、私は丁寧に保管している。
”あの方は、今、どうしておられるだろう””あの方は、元気でおられるだろうか”と心に浮かぶ。
今も近況を教えていただくことが多い。
昭和54年4月24日、会長辞任のその夜。守口門真(もりぐち かどま)文化会館で、大阪の緊急本部長会が開催された。
この夜、西口総関西長(当時、関西長)は、かつて、理事長を辞任された戸田先生に、私が贈った一首の和歌を、皆の前で朗読した。
古の 奇しき縁に 仕えしを
人は変れど われは変らじ
そして、西口君は叫んだ。
「たとえ池田先生が会長職を辞めても、関西の私たちの師匠は永遠に池田先生です!」
会場では「そうだ!」と友が拳を突き上げ、怒りと誓いの拍手が沸き起こったのである。
関西の友の心は、あまりにも健気である。広宣流布のためには、関西を完壁に仕上げることだ──私は、こう思い、若き日から関西に力を入れてきたのである。
これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった。
(ここで、昭和35年の第3代会長就任と、昭和54年の辞任について、関西の同志から寄せられた声が紹介された。)
【会長就任に寄せられた声】
◆ 「(池田先生に)一番お世話になり、一番苦しい、一番楽しい戦いを池田先生の指揮のもとにやってきた関西のわれわれである。その池田先生が第3代の創価学会会長に就任されたことは一同心待ちにしていたことであります」
◆ 「そのしらせを耳にした関西の同志の皆さんがどれほど喜び、いかほど祝福したか」(白木義一郎理事)
◆ 「『大阪の戦い』で、ともに戦ってくださった先生。勝つことの喜びを教えてくれた先生。『私たちの先生』が会長になる。先生の晴れ姿にうれしくて涙が止まりませんでした。『先生の顔に泥を塗るようなことはできない。断じて勝利しよう』と固く決意し、東京から帰ってきました」(京都・舞鶴市の婦人部)
◆ 「池田先生の若獅子のごとき気迫。場内に響きわたった声が、今も鮮明に耳朶に残っています」(大阪・淀川区の婦人部)
【会長辞任に寄せられた声】
◆ 「当時、音楽隊だった私は、ラジオのニュースで先生の『会長辞任』を聞いた時、衝撃を受けました。その日の練習では、『音楽隊の創立者である先生は、会長を辞められても僕らの師匠や!』と、団員一同、固く誓い合ったのです」(大阪の音楽隊員)
◆ 「当時、学生だった私は、知人から折伏を受けていました。その日の夕刻のテレビで先生の辞任を知り、知り合いの学会員の家に飛んでいきました。『何があったのか』と、不安な顔をしてブロックの方々が集っておられました。
いつも私に親切にしてくれる草創の入信の方は、『なんで先生が辞めなあかんねん』と泣いていました。こんないい人たちに涙を流させるなんて、なんと理不尽なことかと私まで腹が立ちました。その夜、私は入信を決意しました」(大阪の学生部員))
●諸君のなかから必ず学会の柱が
一、きょうも、戸田先生の指導を幾つか紹介したい。
戸田先生の指導は、たくさん残っている。
牧口先生の指導は、もらさず戸田先生が残された。戸田先生の指導は、もらさず私が残した。
師匠の精神を伝え残すことが、未来のために重要であるからだ。
どんな組織であれ、経済的に豊かになり、社会的に認められると、“自分は大したものだ”と思い込む人間が出てくる。そうなったら、危ない。
「形態」があっても、「組織」があっても、本当の「精神」「魂」がなければ滅びるのである。
このことを、私は皆さんの前で言っておきたい。諸君の中から必ず、学会の「宝」が、「力」が、「柱」が生まれると信じるからだ。
私の思いを、関西の皆さんはわかってくださると思う。
なかんずく、信心強盛な婦人部の皆さんが大事である。
婦人部がおられなければ、学会の勝利はない。婦人部を大事にし、そして女子部の方々を最大に守ることだ。女性の声に耳を傾けるのだ。
●礼儀正しく剛毅であれ!
一、戸田先生は述べておられた。
「鉄は熱いうちに打て! 人間も若いうちに自らを鍛えねばならない」
「本当に私の指導を身をもって受けた人間と、そうでない者とは、根本的に力が違う」
青年時代の訓練が、どれほど大切か。今の私があるのも、ひとえに戸田先生の厳しい薫陶のおかげである。
また先生は言われた。
「広宣流布とは、じつに『忍辱(にんにく)の鎧』を着なければ、成しえない大事業なのである」
「組織が発展しないことは、根本となる幹部の信心の問題である。幹部に成長がないことが、その原因である」
リーダー自身が日々、成長し、新たな息吹で進んでいるかどうか。そこに組織の発展もかかっている。幹部で決まる。
先生は、こうも語っておられた。
「学会のために尽くしてくれた人を、私は放っておかないよ。いな、御本尊が放っておかない」 大事なお話だ。
学会のため、広布のために尽くす功徳は無量である。このことを深く確信していただきたい。
「だれに対しても、『誠実』の二字でつきあっていけ。その場かぎりの適当なごまかしや要領は、絶対にいけない」
これも、胸に刻むべき先生の指導である。
ごまかしや要領の人間は、最後は敗北する。
こうした人間は信用してはならない。鋭く見破っていくことだ。自分が聡明になることである。
また先生は「青年部は、礼儀正しく、勇ましくあれ! 冷静沈着にして、剛毅であれ!」と訴えておられた。
この言葉を若き友に贈りたい。
私は、この指導通りに戦ってきた。すべてにわたって、微塵も先生を裏切ることはなかった。
それこそ、はたから見れば”バカではないか”というくらい、まじめに真剣に戦ってきた。一切を師匠に捧げてきた。
しかし、だからこそ私は勝った。師弟とは、こういうものだ。
親子以上の深い絆で結ばれたものなのである。
●世界へ行こう!
「また、先はども触れたが、私は、昭和54年の4月24日、第3代会長を辞任した。
その背後には、広宣流布に命を捧げてきた私の心など知ろうともしない、野心と嫉妬の輩による卑劣な陰謀があったことは、皆さんがご存じの通りだ。
理不尽極まる辞任の日の夜、自宅に戻った私を、妻は、いつものように、ニコニコと微笑みながら迎えてくれた。
そして、「これで世界中の同志の皆さんのところへ行けますね」「自由が来ましたね」「本当のあなたの仕事ができますね」と明るく励ましてくれたのである。
続く5月3日、実質的に会長辞任の総会となった八王子での本部総会を終えて、私は、学会本部には戻らずに、神奈川へ向かった。
神奈川文化会館から見た海は、青く、また清く、どこまでも広がっていた。
この海は世界につながっている。私は世界へ行こう! ちっぽけな日本に未練はない。戸田先生の不二の弟子として、全世界に広宣流布の波動を広げていくのだ!──それが当時の私の強き決心であった。
そして今、SGIの平和と人道の連帯は、世界190カ国・地域に広がった。
著名な世界の指導者や識者の皆さんも、SGIの民衆運動に限りない期待と賞讃を寄せてくださっている。
SGIの勝利こそ、私の祈りであり、私の勝利である。
皆さん、ありがとう!
私は本当にうれしい!(大拍手)
●幸福の大道とは
一、大聖人は仰せである。
「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる」(御書384ページ)、「只是れ妙法蓮蓮華経の五字なり」(同497ページ)、「唯南無妙法蓮華経なり」(同1170ページ)と。
題目こそ、信仰の根本である。
題目をあげる以外に、幸福の大道はないのである。
大聖人は、こうも仰せになっておられる。
「およそ信心というのは、特別にこれといって難しいものではないのです。
妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(御書1255ページ、趣意)と。
自分にとって、一番大事な人──子どもと言う人もいれば、恋人と言う人もいるだろうが(笑い)──その大切な人を思うように、御本尊に向かえばいい。
何も特別なことではないのである。
戸田先生は、御本尊に向かう心を、大聖人に恋愛するような気持ちだよと(笑い)、よくおっしゃっていた。それでいいのである。
法華経寿量品には「心懐恋慕(しんねれんぼ)、渇仰於仏(かつごうおぶつ)」──心に恋慕を懐き、仏を渇仰して──と説かれている。
一生懸命に、純粋に唱えた人は、すべて勝っている。すべて祈りが達成されている。
青年部の皆さんは、信仰という本当の崇高な魂の世界を知っていただきたい。
●最後は必ず勝つ
一、ともあれ、関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。
仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
この大確信で進んでいこう! 胸を張って!(大拍手)
最後に皆で、お題目を100遍、唱えたい(大拍手)。〈SGI会長を導師に全員で唱題する〉
皆さん方ご一家が、永遠に幸福であるように祈らせていただきました。
海外の皆様、本当にご苦労さまでした。
日本の皆さんは、海外の同志を最大に大切にしてあげてください。よろしくお願いします。
以上で、私のスピーチを終了します。
お体に気をつけて!
長時間、ありがとう!(大拍手) (2007・11・8)
※編集部としてSGI会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。