投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 6月29日(水)02時29分26秒
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さて、とおいむかしのインドでなにふじゆうなくくらしていたいっこくのおうじしゃくそんが、
おうきゅうのもんのそとでろうじんやびょうにん、またしにんやしゅぎょうしゃにであい、じんせいのしょうろうびょうしをまのあたりにして
「じんせいのくのう」にめをひらき、しゅっけをけついしたというこじがあります。しもんしゅつゆう。
しゃくそんはにんげんのくのうのかいけつのために、しゅぎょうにはげみ、
わがみのふるまいをとおしてしょうろうびょうしのかいけつほうをしめしきり、とうといしょうがいをおえました。
そしてそのしゃくそんの「こころ」をでしたちがほけきょうにまとめてこうせいにつたえのこしました。
まっぽうにしゅつげんしたにちれんだいしょうにんはそのほけきょうをさらにしょうかさせたかたちで
「なむみょうほうれんげきょうごほんぞん」とひょうげんをかえ〝ばんにんじょうぶつ〟のほうとをしめしたのです。
これらのことから、すべてのせいめいにつらぬかれているものがほけきょうだとすれば、
あとはなにによって、そのもんにはいるかというもんだいがのこります。
これをみなさんといっしょにかんがえていきたいとおもいます。
そのまえに、ちえだいいちといわれた「しゃりほつ」とぐどんのだいひょうかくである「すりはんどく」の
きょうつうてんはなにであったのかをみていきたいとおもいます・・・・と、
ここまでかきおえたときに、つまからはんろんがありました。
「ちょっとまってよ、しゃりほつとすりはんどくにきょうつうしているのはじょうぶつしたことだけじゃない。
それいがいにきょうつうしたところなんてなにがあるの。あとはぜんぶ、せいはんたいじゃないの」と。
つまのいったことをまとめると、
①しゃりほつはちえだいひとつ、すりはんどくはぐどんだいひとつ
②しゃりほつにたいしてししょうはきびしいたいどだった、すりはんどくにたいしてししょうはやさしいたいどだった。
③しゃりほつはたのでしからもにんきがあった、すりはんどくはたのでしからはバカにされた。
たしかにつまのいうとおり、じょうぶつしたいがいはせいはんたいだったかもしれません。
しかし、けつろんをいそがず、もうすこしじっくりかんがえていきたいとおもいます。
ほけきょう「ほうべんひんだいに」のはしゃりほつですが、
たしかにししょうはしゃりほつにたいしてきびしいたいどでせっしています。
そのないようをようやくすると
「しゃりほつよ、よくきけ。ほとけのちえはじんじんむりょうでいまだかつてきいたことのないむりょうむへんのみぞうのほうである。
ほとけのちえをりかいするのはなんかいで、ちえのもんにはいるのはむずかしい。いっさいのにじょうしょうもん・えんかくがしることのできないものである」と、
ほとけのきょうがいをさんざんさんたんしたのち、にじょうのだいひょうであるしゃりほつをてっていてきにしかりとばしています。
これまでもしゃくそんは、さんじょうしょうもん・えんかく・ぼさつのひとはみな、もろもろのしゅうちゃくをはなれて、
もうよのなかはこれでいいのだとおもいこんでいる。さんじょうのきょうがいのままでいいのだとまんぞくしている。
しかし、ちがうのだ。
あらゆるほとけがしゅつげんするのは、きみたちさんじょうやばんにんがもともともっているふつちけんをひらいてやろう、
さとらしてやろう、そしてそれをしめしてほとけのきょうがいにはいらしてやろうかいじごにゅうとしてうまれてきたのだ。
だからまずほとけのちえをさんたんし、それからきみたちをみちびくのだ。
きみたちみたいなものがなんおくにんあつまってもほとけのちえはわからない・・・。
そして「やめよ、しゃりほつよ。もうほうはとかない。なぜならほとけがじょうじゅしたのは
けうにしてなんかいなだいひとつのほうであり、ただほとけとほとけだけが『しょほうのじっそう』をきわめつくしているからである」
とときます。
これをきいてしゃりほつはやっとりかいできたのです。
しゃりほつは「ししょうよ、やっとわかりました。そんなにいだいなほうがあるのですから、わたしはそのいだいなほうをしんじます」と。
これをいしんとくにゅう、〝しんをもってはいることをえたり〟といいます。
しゃりほつとすりはんどくのさいだいのきょうつうてんは「しんじん」です。
しんずるこころをもっていたがゆえに、じょうぶつすることができたのです。
そしてそれは〝しんずるこころ〟をもってはいらなければ、
ほけきょうのこころをえとくすることはぜったいにできないということでもあるのです。
では、ほとけとほとけだけがしる「しょほうじっそう」とはなにでしょうか。
けつろんからいえば、しょほうじっそうとはじゅうにょぜのことです。
つまり「いわゆるしょほうのにょぜしょう、にょぜしょう、にょぜたい、にょぜりき、にょぜさ、にょぜいん、にょぜえん、にょぜか、にょぜほう、にょぜぼんまつくきょうとうなり」です。
このじゅうにょぜのもんは、ちょっとむずかしいことばですが「りゃくかいさんけんいち」といいます。
これはさんじょうしょうもん・えんかく・ぼさつをしゃくして、いちぶつじょうをあらわすといういみです。
もっとわかりやすくいえば、じんせいのもくてきはこうふくになるためにあるのですが、
それはかねもちになることである、しゃかいてきめいせいをえることである、せかいいちしゅうりょこうにいくことである、
けっこんしてかていをもつことである、びじんになることである、けんこうになることであるとう々とういろいろありますが、
それはちいさなもくてきかんにたったさんじょうをもとめるしゅじょうのすがたなのだとししょうはいいます。
そうではなく、ほんとうのじんせいのもくてきは、ごほんぞんさまをしんじ、なむみょうほうれんげきょうをしんじなさい。
そうすれば、ぜったいにくずれないこうふくなじぶんになれる。これがじんせいのきゅうきょくのもくてきです・・・りゃくかいさんけんいちとは、こういういみです。
こんなこといわれてもだれだってわかりませんし、りかいできません。
しかし、ししょうがそうといたとき、しゃりほつだけがししょうのことばをりかいしたのです。
いや、りかいしたというよりもそのことばを〝しんじた〟というべきかもしれません。
とだせんせいはこのことをとおして、こうふくには「そうたいてきこうふくきょうがい」と「ぜったいてきこうふくきょうがい」のふたつがあるとひょうげんしました。
なにがあろうが、なにがおころうが、なにものにもおかされず、わがみのこころにしあわせをかんじ、
いきていることじたいがしあわせである・・・そういいきれるじぶんになるためには、ごほんぞんさまをしんじ、
ぎょうじていくところにじんせいのもくてきがあり、ほんとうのこうふくをかちとるげんせんがあるのです。
はなしをもどします。