師弟不二ARCHIVE

池田先生のスピーチに学ぶ【目的は民衆の幸福、人類の智慧は無尽蔵】

投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 7月 1日(金)15時34分21秒   通報
池田大作全集80巻
第五十五回本部幹部会、婦人部幹部会 (1992年6月2日)より(3/6)

■教育も人生も宗教も、目的は幸福

牧口先生は、「″教育の目的″は人生の目的″と同じである。それは″幸福″である」と定義されている。『創価教育学体系』には、「教育の目的たるべき文化生活の円満なる遂行を、如実に言ひ表はす語は幸福以外にはないであろう。(中略)
被(ひ)教育者をして幸福なる生活を遂げしめる様に指導するのが教育である」等と述べられている。

「教育」とは、まさに人間の幸・不幸にかかわる重大事であり、尊き″聖業″なのである。

本来、「宗教の目的」も、「民衆の幸福」である。にもかかわらず、これまでの宗教の歴史は、民衆を幸福にするどころか、宗教利用の聖職者が、民衆をだまし、搾取し、不幸にすることがあまりにも多かった。

宗教的権威は、人々の理性をしばり、その眼をしばしば狂わせる。しかし、民衆にしっかりした教育があればだまされない。聖職者もインチキはできない。

逆に教育がなければ、民衆は宗教の奴隷になってしまうであろう。横暴な聖職者はいよいよ増長し、人々はますます盲目になっていくであろう。この「悪循環」を断ち切らねばならない。

今回の問題でも、日顕宗がいかにおどし、騒ごうとも、創価学会は賢明であったがゆえに、微動だにしない。「真実を見抜いた民衆の勝利」である。民衆が″学びの力″を発揮した「教育の勝利」である。

牧口先生は信ずる「教育の道」に生き抜かれた。教育こそ基本とされ、その延長線上に、宗教を正しく把握された。これが先生の「信念の道」であった。そして、今から四十八年前の一九四四年(昭和十九年)、誤った教育の帰結として、一国全体が誤った宗教に駆り立てられた太平洋戦争の渦中、自らの信念を貫き獄死されたのである。

ここに、私どもの最高の誇りである「創価の道」の原点がある。この牧口先生の後を継いで、今、私どもは「教育の道」「文化の道」「平和の道」を世界中に広げている。どこまでも「日蓮大聖人の仏法」を根底としながら──。

■知恵は「美」「利」「善」の価値を創造

牧口先生は「創価教育の意義」について、「詰らない知識を詰め込んで死蔵せしめるにあらず、あらゆる環境に順応し、利を生し害を除き善を
就(しゅう)し悪を避け美に化し{醜}(しゅう)を去る等、如何なる方面にでも活路を開拓して進行することの出来る能力を持たせんとするのである」と述べておられる。

″つまらない知識を頭に詰め込んで死蔵する″──「知識偏重教育」「詰め込み教育」への痛烈な批判ともいえよう。

″知識ある人″が″知恵ある人″とは限らない。どんなに豊富な知識も活用しなければ死蔵である。実際、専門知識はあっても、人間として当然の良識に欠けるような人物もけっこういるものだ。いかなる環境にあっても、自分がいるその場所で、闊達に「美」「利」「善」の価値を創造する人が″知恵ある人″である。そうした「知恵」を磨き、身につけることこそ、我が「創価」の意義である。

「創価教育」──世界の多くの識者が、この私どもの原点を高く評価し、注目している。
昨日お会いしたバリツァー教授(米・クレアモント大学)も、私どもが創価教育学会という「教育団体」から出発したことに、心から共鳴しておられた。

私は今、率先して、世界のリーダー、文化人とお会いし、真剣に対話をしている。すべて人類の明日を見みすえてのつもりである。

その語らいのなかで、いつも感じるのは、各国の文化の言葉やエピソードに輝く「人類の知恵」は無尽蔵だということである。

この「知恵」を死蔵させてはならない。「知恵の宝庫」の扉は、万人に開かれねばならない。きょうはそうした「人類の知恵」のいくつかを残しておきたい。

■関東大震災でのカナダ船の救援活動

世界で一番、住みやすい国はどこか──。この四月、国連の開発計画による「人間開発指標」が発表された。教育、医療、経済状態、政治的安定度や自由度などの要素から、各国の″生活の質″を評価したものである。

それによると、今年度の第一位はカナダであった。世界一″生活の質が高い国″″生活しやすい国″との結論である。昨年は日本が第一位であったが、今年はカナダに抜かれ、第二位になっている。

カナダはまた、日本にとって「恩ある国」である。これは、先日(五月二十九日)、カナダのテイラー駐日大使とお会いした折にも、ふれた一つの秘話である。

──大正十二年(一九二三年)九月の関東大震災の折、横浜でも多くの被災者が出た。その時、カナダ太平洋汽船のロビンソン船長を中心とする救援活動によって、多くの命が救われた。

船の名前は「エンプレス・オブ・オーストラリア号」。九月一日、横浜港から出航する直前に地震が起きた。波止場の桟橋が崩れ、出港不能となったオーストラリア号は、ロープや梯子を下ろして被災者を乗せた。港の各所で石油が炎上し、やっとの思いで船は安全な場所に停泊した。

地震の翌日、船には通常の乗客以外に、多数の日本人をはじめ中国やヨーロッパなどの人々が収容されていたという。

その後、通常便で到着したエンプレス・オブ・カナダ号が、食糧をオーストラリア号に渡し、避難民の一部を神戸港に運んでいる。

オーストラリア号の修理が終わると、ロビンソン船長は船を港に戻し、救助活動を続けた。
この時の救助作業で活躍したのは、事務長のR・D・テイラー氏であった。彼は船員を指揮し、火災の相次ぐ陸上で、五日間にわたり不眠不休で多くの人々を救助した。

また住民・船客・乗員からなる救助隊が組織され、毎朝、婦女子やけが人を救出するために横浜の遠い郊外まで出かけた。

この間、他の船もオーストラリア号の避難民を引き受けて神戸に運んだ。神戸には、日本人による避難所が設けられていた。

ロビンソン船長は、オーストラリア号での様子を、報告書の中でこうつづっている。
「私は乗客の行動と冷静さに心から敬意を表したい。乗客の多くは、昼夜、休む暇もなく、国籍を問わず、病気やけがをした人々すべてのために献身的に働いた。

甲板や廊下、そして船全体のどこを見ても、ぞっとするような、胸の痛む光景が目に入る。救出した何百人という重傷者の泥と血、半裸の姿、激しいうめき声に満ちていた」と。

船全体が、応急の″病院″となって、被災者の救護にあたっていたことがわかる。
やがて、日本とアメリカの軍艦が救助に訪れた。地震から一週間後の九月八日、オーストラリア号は、多くの避難民を乗せて神戸へと出港している。

さらにその後、カナダ太平洋汽船のエンプレス・オブ・ロシア号が、海外からの救援の最初の商船として横浜港に到着。カナダ政府とカナダ赤十字、バンクーバー日本人協会からの救助物資が届けられている。

このように、日本の災害にあたってカナダから数々の人道的な援助が寄せられたことを、残された記録の多くが証言している。
いざという時に、どう行動するか──そこに人間性が表れる。

私は一人の日本人として、テイラー大使に、カナダの人々の「人間愛」の行為への心からの感謝を伝えた。そして両国の友好史に輝く美談として、広く後世に残していきたいと申し上げたのである。

(明日以降に続きます)